風日誌


幸田露伴・陽明学

2004.06.29

 

幸田露伴である。
やっと、その入口に立ったところ。
5月28日の松岡正剛・千夜千冊/第九百八十三夜が
幸田露伴『連環記』であり、
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0983.html
遅ればせながら、幸田露伴を読み始めているが、
やはり、ちょっと途方もない大きさを感じざるを得ない。
これから一生もののつきあいになるかもしれない。
「千夜千冊」にこうある。
 
	ま、露伴の前では青山二郎も小林秀雄も、それから益田鈍翁すら及ば
	ないかな。だって、露伴はヨーロッパを必要としなかった最後の日本
	人だったからねえ。そういう人物がいないから、宮本常一さんや網野
	善彦さんが山や土や川や海に生きる"忘れられた日本人"を探したんで
	すよ。
 
「ヨーロッパを必要としなかった」というのとは
ちょっと違うかもしれないが、
比較で言うと、そこに「夏目漱石や森鴎外のようには」
というふうに付け加えるといいのかもしれない。
 
しかし、書店を探してみると、
幸田露伴の作品はあまり手に入らない。
古書店を探していくつかようやく手に入れることができた。
夏目漱石や森鴎外に比べてあまりに受容されていない。
むしろ幸田露伴は進みすぎているところがあるのかもしれない。
故に、受容されがたいところがある。
ちなみに、幸田露伴と夏目漱石とは同い年である。
しかし幸田露伴は1947年80歳まで生きている。
 
さて、今回の松岡正剛の千夜千冊、第九百九十六夜は、王陽明の『伝習録』。
そのいわゆる陽明学に関しては、以前も
一人エポック授業的にしばらく集中的に見ていたことがある。
安岡正篤も陽明学の系譜にあるといえるだろう。
 
ちなみに、陽明学というのは日本独特の呼び名で、
中国では王学とか陸王学と呼ばれていた。
では、陽明学の名づけ親は誰かというと
明治になって、井上哲次郎が『日本陽明学派之哲学』を著し、
さらに大正になって、吉本譲・東敬治・石崎東国らが
機関紙『陽明学』を刊行してから定着したのだという。
その後、その陽明学という名称が中国に逆輸入されることになる。
 
今回のなかでは、次のような示唆がとくに興味深かった。
この点はぼくもずっと気になっていたところなのだ。
 
	 内村鑑三の『代表的日本人』(250夜)には、大きくは2カ所に
	陽明学についての言及がある。中江藤樹と西郷隆盛のところだ。
	 よく知られているように、二人とも陽明学に心服した。藤樹は日
	本の陽明学の泰斗であって、天人合一を謳って近江聖人と敬われた。
	その弟子に熊沢蕃山が出て、水土論と正心論を説いた。大西郷につ
	いてはいうまでもないだろうが、王陽明を読み、『伝習録』を座右
	にし、「敬天愛人」を心に決めた。
	 藤樹も西郷もそれぞれ陽明学に心服した。それはそうなのだが、
	この二人の陽明学への心服に、キリスト者の内村がぞっこん心服し
	ているのである。それを読んでいると、キリスト教と陽明学は実は
	酷似しているのではないかという気になってくるのだ。
	 実際にも、そのことを指摘した幕末の志士がいた。才気煥発の高
	杉晋作である。高杉は当時の聞きかじりの知識ではあるものの、そ
	れでも幕末や上海のキリシタンの動向や心情を見て、キリスト教の
	本質を嗅ごうとしていた。それが長崎で『聖書』を読んでパッとひ
	らめいたようだ。なんだ、これは陽明学ではないか、と。
	 こういう話は陽明学そのものが広い懐をもっているのか、それと
	も異端であるがゆえに人々に孤絶の道を歩んだ者の思想や生き方と
	の類似や暗合を思わせるのか、判断がつきがたいものを示している
	のだが、ぼくには陽明学のひとつの特色を語っているものと見えて
	いる。
 
「日本」について見てみようと思ったとき、
陽明学というのは欠かせないところがある。
それはまるで儒教的ではない。
仏教にしても、仏教という枠組みではとらえられない動きが
仏教のなかの潮流として現われてくるようなものだ。
 

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