昨日は、ほぼ一年ぶりに松江の島根県立美術館に出かけ 「ジョルジュ・ルオー展」を観た。 これまでルオーについては、その黒い線描やキリストの顔を その作品の印象として持っていたくらいだったのだが、 とくに「ミセレーレ」というシリーズには深い感銘を受けた。 ちょうど先日来読んでいる前田英樹『絵画の二十世紀』(NHKブックス)にも ルオーについての記述があるが、それが深く納得させられもした。 そのあたりを引用して覚書きとしておきたい。 やはり、テーマは「キリスト」であり、 「私は『私は在る』という者である」ということである。 ルオーが言う「道化師」の発見は、それに出くわした自分の発見であり、 さらに人類という道化師に出くわしてくれたキリストの発見だった。以後、 ルオーが描く道化師の顔は、人類に出くわし、それに「無限の悲しみ」を 感じているキリストの顔に、みな少しずつ似る。なぜなら、キリストは、 まさに道化師たちのなかにいて、彼らと同じ役を振られて生きるからだ。 言い換えれば、イエスが私たちに似ようとする時、私たちはみなそれぞれ 少しずつイエスに似るのである。 ルオーにとって、キリストは観念ではない。道化師の魂を見る自分の奥 深くに根を拡げる実在である。ルオーが画家として発見したものは、感覚 のなかにある普遍的と言っていいこの実在にほかならない。イエスは、遠 い過去にいた一人の人間、一人の道化師だろうが、救世主は、人間に対す る画家の「無限の悲しみ」として、今はっきりと実在する。道化師たちの 金ぴか衣装を、いかにしてキリストによって見られる人類の魂の色に変え るか、この課題を乗り越えた時、ルオーはグロテスクの宗教画家であるこ ことを乗り越えた。 (P223-224) 神が「『私は在る』という方」であるのなら、人の姿をした神にほかな らないキリストもまた、疑いなくそうである。キリストは、誰でもない、 「在るという者」であり、ただそのことによって道化師たちに光を見させ、 光のなかで自分たちが何であるかを見させる。そうすると、道化師たち、 あるいは娼婦、裁判官、手品師、母と子は、幾分「在る者」になる。「在 る者」の恵みと喜びを取り戻して輝く。キリストの姿が見えなくなっても、 もはや彼らはみな幾分キリストに類似して、そこに居る。その色彩は、見 る者に対して垂直に積み重ねられた色斑によってしか作り出すことができ ない。質料(マチエール)に精通する職人のメチエが、彼にそう教える。 ルオーの絵がキリストの姿をモチーフとする時、彼が実現しているのは、 まさに「出エジプト記」のこの言葉、「私は『私は在る』という者である」、 という言葉それ自体のように感じられる。ルオーは、キリストの肖像と共 に、風景画のなかの一部として、キリストの姿をよく描いた。彼にとって、 キリストとは何よりも、人類という道化師たちに出会い、彼らと同じ風景 に置かれ、並んで佇む者だった。その風景は、たいていは田畑の広がる町 外れの道であり、遠くに黄色かオレンジ色の、月のような太陽が描かれて いる。 (P225-226) ちょうど学芸員らしい方が、なにがしかの団体の方に説明しているのに便乗して その説明のいくつかを聞く機会があったが、 その最後に、ルオーが一生涯、自分を職人として生きたという話があり、 ぼくもなにがしかの「職人」として生きていきたいものだという感を強くした。 さて、ちょうど来年になるが島根県立美術館の企画展に 「ギュウスターヴ・モロー展」がある。 モローはルオーの先生でもある。 島根県立美術館の学芸員の方?に深く感謝である。 ちなみに、今回見た同島根県立美術館の「コレクション展」のひとつに 「歌川派の絵師たち」があった。 昨年この島根県立美術館にでかけたのはまさに浮世絵を見るためだったが、 昨年来、浮世絵を見る機会も増えてきているのは誠に楽しい限りである。 さて、島根県立美術館に出かけたのは、 昨年は広島から、今回は岡山からだが、どちらも所要時間はほぼ同じ。 瀬戸内海側から日本海側に行くのは山越えになるのもあってやはり近くはない。 しかし帰路、松江から米子、羽合、倉吉を経て、津山周りを通ったが 鳥取路、日本海と曇ってはいたが大山を右手にしながらのドライブは なかなか爽快なものだった。 |
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