風日誌


松岡正剛と荒俣宏


2004.05.26

 

松岡正剛の千夜千冊が大詰めに入っている。
今日は第九百八十二夜で荒俣宏の『世界大博物図鑑』全5巻。
前回の第九百八十一夜は杉浦康平の『かたち誕生』だったが、
ここにきて毎回目が離せないほどテンションが上がってきている。
 
あらためて思ったのだが、まだ生きている方だけをとっても
今の日本にはすごい人がたくさんいる。
ベスト5を挙げるとすれば、
この松岡正剛に荒俣宏、白川静、中沢新一、河合隼雄だろうか。
ベスト10にしても、ベスト20にしても、
かなりな顔ぶれが揃うはずだ。
しかし、それに比べて、政治家はたぶんあまりに酷い感じが否めない。
かつての時代にも乱世のほうがむしろ人材が輩出している感もあるように、
現代というかなり煮詰まった時代だからこそ、
面白い人たちがいろいろでているのかもしれない。
 
ところで、荒俣宏の『世界大博物図鑑』全5巻だけれど、
ぼくはそのうち1巻だけはなぜか持っている。
1冊12000円もする図鑑でなかなか買えないものの
これだけの名著になると1冊くらいはほしかったのだ。
この『世界大博物図鑑』が刊行されている頃の荒俣宏について
今日の千夜千冊ではこう書かれている。
ほかでも読んだことのある光景である。
 
        いつ電話をしても、平凡社のどこかで寝てると思いますという返事だった。
        それが、この3日ほどは奥の机で寝てましたね、この1週間は風呂にも入
        れなかったんじゃないですか、さあ、ビルのどこかにいるとは思うんです
        が、この1カ月は誰も姿を見ていません、というふうに怪しい中継ぎにな
        ってきた。
 
荒俣宏が渾身の力をもって刊行させたのが
この世紀の名著『世界大博物図鑑』全5巻なのだ。
これは掛け値なしにすばらしい。
荒俣宏が成し遂げたものについて
松岡正剛は次のように述べている。
まったく的を得ている。
 
         そもそもナチュラル・ヒストリーという領域は、博物全般をめざして
        スタートしながらも、その尻尾を近代生物学のほうから齧られ、その頭
        部を科学一般の常識から寄り詰められて、ナチュラル・ヒストリー本来の
        「存在をふやす学」という目的を逸したかにみえた半死半生領域だったの
        である。いってみれば、博物学自体が絶滅に瀕した珍獣のようなものだっ
        たのだ。
          それを荒俣宏が完全復活させた。環境保護をした。つまり「存在をふ
        やす学」としての博物学復古計画が企てられ、足掛け8年をもってその
        生物篇が奇蹟的に再生されたのだ。荒俣君本人も書いていることだけれ
        ど、「これは、科学でもなければ文学でもない。その両方が分化する以
        前の知の体系なのである」。
 
まあ、なんにせよ、松岡正剛もものすごいパワーだと思っていたけれど、
荒俣宏もまたちょっと想像を絶するようなパワーである。
 
しかし、なぜか現代に超人たちがいるにもかかわらず、
それらの人たちにあまりシュタイナーの精神科学的なあり方が
希薄に感じられてしまうのは、ぼくの思いこみだろうか。
おそらくシュタイナーという星があまりに大きすぎて
それを継承・発展できる人材を持ち得ないということなのかもしれない。
 
しかしそういう無い物ねだりさえしなければ、
現代にはこれだけの人たちがまだ生きて活動しているのだ。
しかもシュタイナーの著作・講演録も
むしろ同時代にいるよりも全貌を見渡しやすくなっている。
贅沢はいっていられないだろう。
もうすでにかなり贅沢なのだから。
 
しかも世の中は、ブッシュのアメリカにしても小泉の日本にしても、
マスコミやその紙芝居に踊っている人たちにしても、
馬鹿馬鹿しい様相を日々目の当たりにさせてくれる。
自分さえ目を開けていれば、こんなに勉強になる時代もないのかもしれない。
 
さてさて、千夜千冊の残りも必読で
毎日がなかなかにスリリングになってくる。
しかも来月から松岡正剛のNHK人間大学講座も始まる。
今日、早速そのテキスト「おもかげの国 うつろいの国」を
買ってきて読んでいるのだが、実際の放送もとても楽しみである。
 

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