風日誌


「土地」からの自由


2004.05.09

 

岡山に来てすでに一ヶ月以上が過ぎた。
思っていた以上に仕事も忙しく
GWとかもつぶれてしまったような状態ではあるものの、
いろんな意味でようやく少し落ち着いてきたところかもしれない。
 
とはいえ、人の気質の違いからくるいろんなことで
当惑させられることもしばしばで、
やはり、土地にはある種の気質が傾向として
結びついていることを実感させられたりもする。
 
人はなんらかの形で「土地」との関連を
まったく失うことはむずかしいのかもしれないけれど、
対象のない思考が重要であるように
「土地」の影響をできるだけ排することのできるところも
もつ必要があるのではないかと思う。
それは「母なる○○○」ということからの自由でもある。
もちろんそれは「母なる○○○」の否定というのではなく、
その決定的な影響からの自由の可能性なしでは
人の精神における自由も成立しえないからである。
 
少なくともそうした「土地」の影響が
自分にどのように及んでいるのかを
できるだけ意識しておくことは大切なことなのだろうと思う。
 
シュタイナーは、人にはかつて今のような記憶力や思考内容はなく、
体験した場所に印をつけて記念碑とし、もういちどそこにきたときに
その土地と結びついた体験を思い出していたということを述べているが
対象のない思考が可能になるためには
土地から自由になった思考もまた必要とされるのだろう。
 
「土地」に慣れるということももちろんとても大切で
ぼくにしてもその課題は今もっとも重要なものなのだけれど
それに呑まれてしまわないこと。
できるだけ意識的にそれに対することができること。
早くそうすることができるようになりたいものだと思う。
そのためにもこれまでぼくに働きかけてきている
ぼくの生まれてこのかたの「土地」の影響についても
もちろん検証していく作業もあらためて必要になってくる。
 
 

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