風日誌


引越


2004.03.27

 

4年と数ヶ月過ごした広島からお隣の岡山に転勤することになり、
ここしばらくそれであれこれと多忙な時間を過ごしている。
 
引越は何度しても疲れるものだけれど
自分がいかに「物たち」に囲まれているかに
否応なく直面させられるいい機会にもなる。
それから転入届やら電話、電気など
生活に関わるさまざまなことを意識せざるをえなくなる。
そして短時間の間にさまざまなことを
選択・決定しなければならない。
 
自分のまわりにあったさまざまな「物たち」を
ゴミとそうでないものに分ける作業もあり、
持っていくもののなかでも
すぐには使わないものと引越の直前まで使うものとを分け、
たとえばCDや本にしても
最後まで段ボールにいれない少しのものが残るが
そういう選択を自分がどうするのかを見るのなども
それなりに興味深かったりする。
 
4年と少しとはいえ
住み慣れたところを離れるのは
それなりに感慨もあるが
逆にその「慣れ」を離れることで
その「慣れ」たと思っていたものが
少し別の顔で見えてくるのも面白い。
 
変化というのは、常に二つの顔をもって現われるのだ。
慣性的なものによって無意識に沈み込んだものに
意識の光を与えてくれることが変化の副産物なのだけれど
半ば無意識のままでいたいという微睡みのような心地よさも
それはそれで悪くなかったりもする。
しかしほんとうのところは、変化しないものは存在しない。
あらゆるものは常に変化そのものなのだから。
しかしときにその変化を外的なかたちで意識化させるために
こうした引越のようなかたちが必要なときもあるのかもしれない。
 
さて、これから行く岡山では
いったいどんなことが待っているのか。
いや、どんなことを創造し得るか。
 
「変化」は常に一定ではなく
変化するときには徐々に生じてきたものが
外的なものとして飛躍的に現われることがある。
その変化をしばらくはできるだけ意識化してみたいと思っている。
 
 

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