風日誌


人間の変化について


2004.02.08

 

昨年購入したi-Macのモニターの色の調子が悪く、
先月修理に出したのがようやく帰ってきた。
 
その間、それまで使っていて
これもいまひとつ調子のよくなかった初代のi-Macを使っていた。
やはり長い間使っていたパソコンだけに
調子悪くスピードもゆっくりとはいえ旧友に会えたような気分だった。
 
ところでパソコンの処理速度というのは
ここ数年でもびっくりするくらい向上していて
同じi-Macなのに初代のものと
修理して帰ってきたものをくらべてもかなり差がある。
ちなみに、今こうして使っているi-Macは
液晶ディスプレイに移行する直前のものなので、
今はもっともっと高速になっているのだろう。
会社で使っているG4のデスクトップ型にしても
もう4年も前の機種なので、このi-Macのほうがずっと処理速度がはやい。
 
デジカメも最初に購入したのが5年ほど前だったが、
昨年購入した2台目のデジカメと比べると
いろんな点で使いにくくなってしまっている。
 
ぼくが最初にパソコンを購入した20年ほど前とくらべると
その変化というのはほんとうに驚くばかりだ。
しかも最初買った頃のパソコンの機能を考えると
今のパソコンのコストパフォーマンスはすごく高い。
最初は日本語処理でさえ英字と半角カタカナしかできなかったのだから。
色だってカラーなんてものではなかった。
 
しかし、こうして便利になることはそれはそれでいいことだし、
そのおかげで、パソコン通信なるものをはじめるようになって、
さらにインターネットなるものがこうして普及してきたのだけれど、
こうしてどんどん「処理速度」がアップしていくと
それを使う人間の感覚というのは
いったいどうなってしまうのだろうという気持ちになる。
 
人間の感覚というのは、マシンほどには変化しにくいだろうし、
もしそれに合わせて変化していくとすればかなりコワイところがある。
コワイとはいいながら、人間の感覚というのは、
こうしたマシン的な部分もふくめて、
さまざまな部分で常に変化し続けているところがある。
 
広告に携わっている関係もあって、
その表現の在り方の変化はここ20年ほどだけをとっても
かなり急激に変化しているのがわかる。
車のデザインとその広告表現などをふりかえってみると
その変化というのはよくわかるのではないかと思う。
 
そういう意味で、時代をどんどん遡っていけば、
人間は、感覚ひとつとっても
想像できないほどの変化を経験してきたといえるのだろう。
だから、過去の時代をみるときに、
現代の視線からその基準で測るととんでもない間違いも起こり得るだろう。
しかし、その変化のなかにおいても、
変わらないでいるか、変わってはいても、
その「ラチオ」的な部分を理解できることはあり得るだろう。
 
その二つの極を考慮するためにも、
シュタイナーの神秘学はほんとうに多くを提供してくれていることが
あらためてわかる。
 
 

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