新年といってもなかなかそんな気にならないのだけれど、 昨日今日と仕事で2004年とか平成16年とかいう文字を 必要上使っているうちに新しい年の感じもしてくる。 新春というのではないけれど新しいゾーンに移動したような。 暦の数字というのはそういう意味で魔術的なところがある。 1日とか月末とか、月が替わるとかいうのもそう。 ずっと前に、マヤンカレンダーの日めくりを 毎日してみたことがあるけれど、 どの暦の上に自分を位置づけるかというのは、 かなり重要なことだと思う。 自分のなかにどれだけの暦を持ち得ているか。 そのことをときおりは意識してみたいものだ。 そうすることである意味では 暦の呪縛からの自由を得ることもできるのかもしれないから。 そして、暦で呪縛しているものがどこかにいるということにも 気づくことができるのかもしれないのだから。 そういう意味で、通常のカレンダーと マヤンカレンダーを平行しながら使ってみる体験は とても刺激的な体験になった。 暦といえば占いが関わってくるが、それについては 永田久「暦と占いの科学」(新潮選書/昭和57年)が (決して深くはないものの)参照するのにコンパクトでいい。 表紙のところにこのような紹介がある。 日常何気なく使われている暦を調べてみると、天文、神話。 宗教、民俗など人類の様々な知恵が結晶していることに気が つく。そこでは数の論理がつねに働いていて、<数>が暦と 占いの懸け橋にもなっている。本書は、その文化遺産を踏ま えながら、古代の暦から現在のグレゴリオ歴への道をたどり、 “時間の区切り”である月や週の周辺を探るとともに、八卦、 干支、九星術、占星術などの構造を数によって解き明かそう としたものである。 占いについてふれているときりがないので 今日はあえてこれ以上ふれないことにする。 今日のBGMは、元ちとせの「ノマド・ソウル」から「月齢17.4」。 ラジオの17.4Hzが月齢と同じだが、 「私のラジヲ」が壊れてしまって「動力のないラジヲ」になっている。 けれどどこか彼方からだれかの歌う「不思議な調べ」が聞こえてくる。 ・・・そういう歌詞。 けっこう気にいっているちょっとジャジーな曲。 ぼくは中学、高校の頃は 毎夜毎夜ラジオに耳を傾けていることが多かった。 午後12時頃から2時3時、ときには朝5時まで。 そして学校では居眠り、という生活。 つまりお日様よりもお月様を眺めている生活。 夜、人の寝静まった時間に 耳をすませていると、ラジオのむこうの彼方、 異次元のような世界からなにかがきこえてきそうな、 そんな気持ちになることがあった。 これも、月の魔術なのだろうか、 それともぼく自身がチューナーになって なにかを受信していたのだろうか。 |
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