風日誌


オイディプス王

ミケランジェロの詩によるリート


2004.01.3

 

ギリシア悲劇最高傑作のひとつといわれる
ソポクレスの「オイディプス王」(藤沢令夫訳/岩波文庫)を読む。
物語はあまりにも有名であるにもかかわらず実際に読むのははじめて。
そういえばギリシア悲劇を読むのもはじめてのことである。
いかに知った気になっていることの多いことかをあらためて思う。
「枕草子」も読み始めているが(これも実際、断片的にしか知らないでいた)
今年はなんにせよ実際に当たってみる機会をふやしてみることにしたい。
そしてそのことでぼくの内に繰り広げられる
悲喜劇のドラマを通じ、大いなるカタルシスへ・・・。
 
ところで、アリストテレスも称賛を惜しまなかったという「オイディプス王」。
それについて云々してみたいとも思ったが、訳者解説の最初にもあるように、
「一種の事後論理めいたそらぞらしさを帯びてくるのを避けがたい」。
そこで、物語解説のようなところから少しはなれたところから。
 
	 有名なスフィンクスの謎は、(…)次のように伝承されている。
	  「一つの声をもち、二つ足にしてまた四つ足にしてまた三つ足なるものが
	  地上にいる。地を這い空を飛び海を泳ぐものどもらのうち
	  これほど姿・背丈を変えるものはない。
	  それがもっとも多くの足に支えられて歩くときに、
	  その肢体の力はもっとも弱く、その速さはもっとも遅い」
	 答はむろん、「人間」であり、その答もまた六行の歌のかたちで
	伝えられている。スフィンクスがこの謎を人間たちに向かって歌っ
	たとすれば、これは『汝みずからを知れ』というデルポイの碑銘の、
	一種ユーモラスな変形であるともみなされえよう。オイディプスは
	これを解いたが、その後また新たな秘密を発見することによって、
	こんどは恐るべき仕方で「自己自身を知る」に至らしめられたわけ
	である。
	(訳者解説より)
 
スフィンクスの謎。
答えが「人間」であるというのはあまりにも有名であるが、
その謎を解いてテバイの王になったオイディプスが
まさに「恐るべき仕方で「自己自身を知る」に至らしめられた」のだが、
そこには常に「神託」があった。
オイディプスはその「神託」から自らを遠ざけようとすることで
かえって「神託」を成就?させてしまうことにもなったのだが、
現代においてそうした「神託」は、
おそらく私たちみずからの内に秘められているということもできるのかもしれない。
 
言葉をかえていえば、みずからがみずからに神託を行いみずからがそれを問い直す、
もしくは、みずからに謎をかけそれをみずからが解く。
そこに大いなる悲劇があると同時にある意味では喜劇ともなる。
現代においては、「自己自身を知る」ということには
そうした側面があるということがいえるように思う。
 
そしてそのことそのものが戯画化されもする。
「心理学化」している社会というのもそのひとつなのだろう。
自分で自分のトラウマはこうだ、心的障害だ云々とさえいう。
ある意味で自分で自分の尻尾を加えているがゆえの病だともいえようか。
みずからを合わせ鏡のうつしながらそれを覗き込んで錯乱してしまう病・・・。
出口はいったいどこに・・・。
 
そうしたことをさまざまに考えながら、
現代における「オイディプス王」の物語とは
いったいどのようなものになるのだろうかと考えてみるのだが・・・。
 
今日は、ミケランジェロ・ブォナローティの詩に
ショスタコーヴィチとライマンが曲をつけたものを
(ショスタコーヴィチ:ミケランジェロの詩による組曲
 ライマン:ミケランジェロの三つの詩)
フィッシャー=ディスカウのバリトンとアリベルト・ライマンのピアノで。
(TELDEC WPCS-4574)
録音は1986年10月及び1987年5月、ベルリン自由放送小ホール。
 
ミケランジェロは彫刻家・画家であまりにも有名だが、
数多くの叙情詩を残してもいる。
このアルバムはその詩に曲がつけられたもの。
 
そのなかからライマンのものの第二曲の歌詞から。
 
	わたしはどうなるのか、燃えつきた木と
	悩む心に、あたらしい日など来はしない。
	自分がどうなっているのか、愛よ、
	おしえておくれ。
 
	矢が的にささるように、
	わが人生の流れはいま終局にちかづき、
	燃えさかる火の静まるときがきた。
	過去にうけた傷さえ、いまやゆるそう。
	おまえの武器は折れ、心はやわらぎ、
	もうわたしの中には愛する場とてないから。
	もし、もう一度わたしとたわむれるのなら、
	わたしの目に、この臆病な優しい心に、
	むかし、どうしたか聞いてごらん。
	いま、わが心はおまえを超越し、おまえをさげすみ、
	それを知っている、ただ力つきたばかりに。
 
	おまえはたぶん、あらたなる美をもって、
	世の賢者も身をふせぐすべをしらない
	あの危険な狭間にわたしを追いこもうとする。
	老いの悲しみはみじかく、
	わたしは、みずからを滅し、消えさり、ふたたび
	燃えることのない、氷のなかの火のようになるだろう。
	場所、時間、運命のいずれにとっても
	おおくの悪の根源となる
	たけだけしい腕、身を刺す矢から
	老いたものだけを守ってくれるのは、ただ、死ばかり。
 
	・・・
 
	いま、わたしになにができるのか。なにをせねば
	ならぬのか、わが過去すべてを支配するおまえ。
	わたしの自由になる時間は、もうないのか。
	どのような偽りが、どのような暴力が、才能が、
	ふたたぶ、わたしをおまえに向かわせるのか、暴君よ。
	心には死を抱きつつ、口には憐れみをもぼせるおまえ。
	復活ののち、最初にわたしに死をもたらしたものに
	ふたたび戻るなら、忘恩と卑劣こそわが魂の名。
 
	・・・
 
 

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