風日誌


小林秀雄「私の人生観」

波多野睦美「美しい日本の歌」


2003.12.30

 

高校の頃、小林秀雄を否応なく読んだことはあるものの、
そこには常に拒否感が伴っていた。
記憶には残っていないのだが、
図書館から無断で持ち出してきた筑摩書房の「小林秀雄集」という一巻が手元にある。
読みたくないものを、借りるのではなく、失敬してくるということのなかに
ある種の屈折があったのだろう。
 
その後も小林秀雄にはどちらかというと疎遠なままだったのだが、
今年になってようやく「雪解け」になってきたようで、
(2003年という年はいろんなところでぼくのなかの「雪解け」があったように思
える年だ)
中央公論社の「日本の文学42/小林秀雄」を古書店で見つけ読み始めたところ、
ぼくのなかの抵抗感のようなものがないことに気づいた。
最初に収められている「私の人生観」、そしてそれに続く「プラトンの『国家』」、
「歴史」・・・と、とても親しく読むことができた。
この全集は、大岡昇平の編集で、昭和40年刊行。
付録に小林秀雄との対談も収められてる。
 
「私の人生観」は1948年秋に行われた講演会をもとに1949年に発表されたものである。
その最後のところを引用してみる。
この言葉は、第二次大戦後のこの講演が行われたときにもまして
深く私たちのところに届いてくる言葉ではないだろうか。
 
	思想が混乱して、誰も彼もが迷っていると言われます。そういう時には、
	また、人間らしからぬ行為が合理的な実践力と見えたり、簡単すぎる観念
	が、信念を語るように思われたりする。けれども、ジャアナリズムを過信
	しますまい。ジャアナリズムは、しばしば現実の文化に巧まれた一種の戯
	画である。思想のモデルを、決して外部に求めまいと自分自身に誓った人。
	平和というような空漠たる観念のために働くのではない、働くことが平和
	なのであり、働く工夫から生きた平和の思想が生まれるのであると確信し
	た人。そういう風に働いてみて、自分の精通している道こそ最も困難な道
	だと悟った人。そういう人々は隠れてはいるが到るところにいるに違いな
	い。私はそれを信じます。
 
小林秀雄から届いてくる言葉は、いまのぼくにはとても近しく新しい。
おそらくこれは30年前、20年前、10年前では得られなかった何かなのだろう。
そういえば、この「私の人生観」を講演したとき、小林秀雄は46歳。
来春ぼくの迎える歳でもある。
ぼくは「私の人生観」を語るほどの「観」をもってはいないし
なにほどのこともなしてはいないが、少なくとも、
「思想のモデルを、決して外部に求めまいと自分自身に誓っ」っているという点で
なにがしかの共感を寄せることがようやくできるようになったのかもしれない。
 
次の「プラトンの『国家』」では、ソクラテスについて次のように語られている。
 
	ソクラテスの話相手は、子供ではなかった。経験や知識を摘んだ政治家であ
	り、実業家であり軍人であり、等等であった。彼は、彼らの意見や考えが、
	彼らの気質に密着し、職業の鋳型で鋳られ、社会の制度にぴったりと照応し、
	まさにその理由から、動かし難いものだ、と見抜いた。彼は、相手を説得し
	ようと試みたこともなければ、侮辱したこともない。ただ、彼は、彼らは考
	えている人間ではない、と思っているだけだ。彼ら自身、そう思いたくない
	から、決してそう思いはしないが、実は、彼らは外部から強制されて考えさ
	せられているだけだ。巨獣の力のうちに自己を失っている人たちだ。自己を
	失った人間ほど強いものはない。
 
さて今日は、波多野睦美「美しい日本の歌」(AVCL-25003)を聞く。
かつてのぼくであれば、「美しい日本の歌」とあるだけで抵抗感をもったかもしれな
い。
もちろんいまでもそれをそのままストレートに受け取っているわけではないし、
肯定しているというわけでもない。
(小林秀雄の「私の人生観」というようなタイトルに対しても同様である)
おそらくあの波多野睦美がそういうアルバムをリリースしたというのも
そういうぼくのありようと近いところがあるのかもしれない。
 
このアルバムには、池内紀のノートが添えられている。
 
	どうして波多野睦美が日本の歌を歌うことになったのか?それは知らないが、
	よくわかる気がする。というのは優れた歌は人生に二度あらわれるからだ。
	幼い頃と、かなり大人を生きてきたころと。
	・・・
	波多野睦美はこれまでずっと外国の歌をうたってきた。遠い国の遠い時代の
	歌。十五世紀のスペインや、十六世紀イギリスやイタリアの祭礼の歌。教会
	の歌や、夕べの祈りの歌や、祝婚の歌や、死者を悼む歌や……。
	ふつう人があまりうたいたがらない歌である。こういう歌をうたうためには、
	いろいろ勉強しなくてはならない。楽譜だけではなく、歌の成り立ちも、伴
	奏の楽器も、それをうたっていたころの人々のことも、うたうときの表情まで
	も調べてみる。
	しかも古い歌を古いままにうたってはダメなのだ。それでは今の人の耳に届か
	ない。古い歌をうたいながら、そこに今の風を入れ、今の空気を吹き込まなく
	てはならない。現代人の喜びや悲しみや祈りをうたういこむ。
	そのときはじめて遠い国の古い歌が今の歌になる。波多野睦美の歌になる。そ
	うやってみごとに歌をよみがえらせてきた。
	このたびは遠い国の歌ではなく、日本の歌。なじみの歌、いつのころか覚えこ
	み、心の底にもちつづけている歌。それは遠い国の古い歌よりもうたうのはや
	さしいだろうか?
	たぶん、ずっとむずかしい。遠い国の歌は頭で入っていけるが、いつのころに
	覚えたともわからない歌はやっかいだ。
	・・・・
	人生の二度目の歌が楽しいのは、当人のノドを裏切るものがあるからだ。私は
	思うのだが、「秋の月」をうたっていたとき、波多野睦美は月影や鳴く虫を思
	っていただけではないかもしれない。
 
「美しい日本の歌」の「美しい日本」を単純に受け取るのではなく、
その、かぎりないむずかしさのなかで、その歌をきいてみることにしたいと思う。
そしてそのむずかしさを、楽しむことにしよう。
 
 

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