風日誌


ゲーテの普遍的な精神

シューベルト『魔王』


2003.12.28

 

昨日は急にできた仕事で少し遅くなったがなんとかクリアし、
やっとこさ今日から休みに入ることができた。
そんなに長いとはいえないにしても、
一年でいちばん長く仕事に関わらなくてすむときなので、
この期間を利用して集中してできそうなことをいろいろ考えたりしている。
・・・が、毎年のことだが、ほとんどがとらぬタヌキと化してしまうことになる。
しかし最初からとらぬタヌキにしてしまうのも癪に障るので、
少しは抵抗を試みてみようと思っている。
 
このMLもつい先日NO.10000を超えた。
そしていちおう2003→2004という区切りにもなるので、
ささやかながら少しは何かあたらしい切り口で
なにかはじめてみたいとも思っている。
いつもの如くたいしたことにはならないだろうが、
小さなことでも比較的コンスタントにできることを見つけてみたい。
 
今年の夏ころはじめてみた「風日誌」は、
なんとかわりと続けることができている。
日々時間もなかなかとれないので
こうしたほとんど時間がかからないで
なにかがメモできるようなものもいいかもしれないが、
そんななかで、少しはまとまったテーマにも取り組んでみたい。
 
今年は、やっとゲーテがこれまでよりもぐんと近しい存在になってきた。
学生時代にゲーテの詩を読まされて閉口して以来、どうも苦手意識があった。
シュタイナーの「ゲーテ的世界観」についての示唆から、
ある程度は理解するようになったところもあったのだけれど
いまひとつ感情が伴わないままだった。
そこにようやく光がしてきたようである。
おそらくシュタイナーの示唆しているようなゲーテ理解をするためには
ぼくにとってはやはりそれなりに歳を経ることが必要だったのかもしれない。
ほんの入口にしかすぎないのだろうが、
その入口にでも立てたように思えることがうれしい。
 
ちょうど、シュタイナーの「われわれの時代とゲーテ」という講義
(『神々との出会い』(筑摩書房)所収)に、
そうしたゲーテ理解のための重要な示唆がなされている。
 
        ゲーテの霊性はこれからますます理解されるようになるでしょう。
        実際、霊界を理解するために、ゲーテの考察から始めることはとて
        も正しいのです。ゲーテの場合、すべてが健康だからです。ゲーテ
        はすべての事柄において信頼できます。彼が矛盾している場合には、
        その論理に矛盾があったのではなく、人生そのものが矛盾しており、
        ゲーテが真剣に生きていたからこそ矛盾していたのです。(P307)
 
        本当にゲーテは、科学のあらゆる分野にわたって研究を続けました。
        その際ゲーテの詩的想像力が自然認識を実り豊かなものにしていま
        した。ゲーテにとって、すべてが関連し合っていました。彼の魂の
        中では、すべてが互いに働き合い、何ものも他のものを妨げていま
        せんでした。(P306)
 
        ただ単にゲーテを考察して、その文章を解釈したり、著作を調べた
        りするだけでなく、ゲーテという存在全体が示す偉大な生き方を知
        ることは、本日のような生誕記念日にこそ、特別ふさわしいことだ
        と思います。特に現代の科学精神はゲーテから多くを学ぶことはで
        きるのです。(P306)
 
この講義は、1911年8月28日、ゲーテの誕生日に行なわれている。
この講義のなかで、「われわれの時代には、どんな知識の分野においても、
包括的な精神の存在する余地はない」というヘルムホルツの言葉が引かれ、
それに対して、
「ゲーテの普遍的な精神は、わわわれの時代にとって何でありうるのか」
という問いかけがなされている。
そして次のように述べられる。
 
        万象に通じている学者など現在には存在できない、一定の専門分野
        に通じることで満足しなければならない、と言うのです。けれども
        人生は統一体であり、人生においてはすべてが関連しあっているの
        です。私たちの人生は、個人の魂が時代の精神文化のすべて、時代
        精神という生命体のすべてを把握できるかどうかによって決まるわ
        けではありませんが、すべての専門分野に働いている精神を、少な
        くとも意識することができないというのなら、それは現代にとって
        悲しむべきことです。(P288)
 
そうしたことを考えにいれたとき、
シュタイナーがゲーテの自然科学論文の校訂の仕事から出発したことの意味が
とても深く理解できるように思う。
 
今日は、シューベルトのリート『魔王』を、
ぼくが最初にきいたジェシー・ノーマンのソプラノで。
これはゲーテが、1782年に、ヘルダーの翻訳したデンマークの民衆バラード
「魔王の娘」を素材につくられた詩だということである。
 
岩波文庫からでている『ドイツ名詩選』を
朗読してあるCDを図書館で借りてきて先日来聞いているが、
ゲーテの詩がドイツ詩の歴史でとても重要な位置を占めていることを
あらためて実感している。
この『ドイツ名詩選』のなかでは、ゲーテのほかには、
リルケ、そしてパウル・ツェランが大部を占めている。
読みながら、そして聞きながら、
あらためてそうした詩人のポエジーを
これまで以上に深く感じ取れるようになっている自分を発見する。
やはり、少しでも「包括的な精神」が
なんにおいても必要とされるということなのだろう。
 
 

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