風日誌


今年をふりかえってつらつら

舟沢虫雄『蝉丸の音楽』


2003.12.23

 

今年をふりかえってつらつら。
 
イラク戦争が起こり泥沼化し、
小泉首相はアメリカ追随でしかなく、
カイカクも日本をアメリカ化することであり、
官僚のカイカクではなく国民のほうのカイカクであることが
白日のもとになった年だったといえるかもしれない。
「マニフェスト」もいったい何の「マニフェスト」だったのかわからない。
しかしおそらくこうしたことも国民の総体の
ある意味での反映だったということもできるのかもしれない。
日本人の集合魂の行方やいかに。
 
今の時代の困難さというのは、
「大衆」の時代故の困難さともいえるのかもしれない。
とくにそれは経済において決定的なものとなる。
「売れる」ということが優先される。
しかも経済を左右するおおきな要因が投機家であり
そこにさまざまなかけひきや操作が加わって乱飛行することになる。
そこから逃れているのが善くも悪しくも「公務員」や「官僚」で
さまざまな矛盾のなかで、「精神」が等閑にされながら
システムの可変項目が非常な複雑なかたちで変動していく。
 
しかし少なくともいえるのは、「大衆」の時代であるということは、
かつては一部の人間だけにしか条件的に可能ではなかったものが
少なくとも可能性としては開かれるようになってきているということである。
書籍を含めさまざまな情報が比較的容易に得られ
これまでは特定の場所でしか得られなかったものを
個人的に学ぶ可能性が飛躍的に高まっている。
とはいえ現状ではそれは可能性というだけのことにすぎず、
「大衆」というのはほとんどの場合やはり集合的に動いていきやすい。
 
そういえばJーPOPはあいかわらず「カヴァー」が多い。
山口百恵の曲も相次いで「カヴァー」された。
カヴァーではないが、ビートルズのレット・イット・ビーのnakedも発売された。
なんだか20年前、30年前の音楽がかなり流れている。
森山直太郎のような歌も、なんだか隙間産業のようにでてきた。
これは後ろ向きなのかどうなのか。
注目すべきは「カヴァー」後のシーンなのだろう。
 
そうした「つらつら」は別として
今年は個人的にいえばほんとうにいろんな要素があったように思う。
 
今年はyuccaとのフィールドワークごっこが活性化した。
山陰の海岸めぐりをしたり鳥の観察をしたり
秋以降は鉱山跡めぐりをしたりなど、かなり活動的に自然観察を試みた。
 
広重や北斎の浮世絵もたくさん見ることができ、
なんといっても富岡鉄斎の書画にとても近しいものを感じるようになった。
これは昨年からの雪村などからの展開といえるかもしれない。
これに松岡正剛の『山水思想』からうけた啓発が加わって
水墨画関連のものも興味をひかれつづけている。
蕪村の南画と俳句もとても近しいものになった。
蕪村の関係からも夏目漱石を見直すようにもなった。
 
美術関連でいえばyuccaの訳しているシュタイナーの
『内的霊的衝動の写しとしての美術史』からはさまざまな啓発を受けている。
とくにレオナルドやミケランジェロ関連のものを中心に
イタリア・ルネサンスのことをさまざまに調べた。
それに加え今はデューラーなどのドイツ・ルネサンス関連のものを調べている。
 
政治絡みのことはやはり気が乗らないところがあるのだが、
姜尚中、宮台真司、大塚英志、福田和也あたりのものは
新刊本などを中心にいろいろ目を通し、それらをガイドにしながら、
それらのフレームではあるが「現代」を理解してみようとしている。
ナショナリズムなどの問題もかなり意識的に考えてみるようになった。
大塚英志と福田和也については政治がらみでない方面でも影響を受けた。
大塚英志のサイコシリーズなども読んでみたり、
福田和也の「批評」なども読み、そこから江藤淳を読んでみるようにもなった。
江藤淳の光と闇・・・。
 
今年印象に残った本はといえば、
さきの松岡正剛の『山水思想』のほかに、中沢新一『聖霊の王』、
保坂和志『カンバセイション・ピース』、
アンソニー・ドーア『シェル・コレクター』、
いしいしんじ『麦ふみクーツェ』など思いつくが
今年は新刊本云々というよりも、
いろんな関心のある項目を中心に古書店で見つけた本や
これまで読んでなかったものなどを読んでみる機会のほうがずっと多かった。
今もなぜか夏目漱石の『三四郎』を読んでいたりする。
 
シュタイナー本では高橋巌さんの「シュタイナー・コレクション」が
隔月刊で出るようになっているのがうれしかったりする。
今は4巻目のギリシア神話などがでてくる巻。
政治ものを読むとなんだか心が貧しくなってきたりするし
「お話」を読むといくら面白くてもなんだか疲れるし、
その他のどんなものを読んでもどこかフラストレーションがたまるけれど
シュタイナーを読むとそういうところがなくて
やはりシュタイナーだけはコンスタントに読んでいかねばと思う。
 
音楽では、あいかわらずバッハが中心で
今もBCJの23巻が発売されて喜んでいたりもするが、
それ以外では、今年はメンデルスゾーンの室内楽などもかなりきいた。
中村孝義『室内楽の歴史』(東京書籍)を読んだというのもあり、
室内楽関係のものをこれからも少しずつきいていくことになりそうだ。
もちろん今は「ベートーヴェン」を中心にきいているところ。
 
クラシック以外では、デヴィッド・シルヴィアン、スティング、
デヴィッド・ボウイの新譜の元気さは印象に残っている。
しかし個人的に知らないだけかもしれないが、
けっこう昔からがんばっている人のものばかりかな、とか思う。
デヴィッド・ボウイが登場した頃のような何か新しいものというのが見えない。
だから「カヴァー」もしくは「リバイバル」なのかもしれないけれど。
そうそう、個人的になるけれど、舟沢虫雄さんの新譜
『月化粧』も今年はきくことができてうれしかった。
舟沢虫雄さんのCDは好きできくことが多い。
 
ということで、今日は舟沢虫雄さんのCDのなかで
ぼくがいちばんよくきいている『蝉丸の音楽』MH-201をきいてみることにする。
 
『月化粧』MH-202は「蝉丸」(黒藤院主宰、山海塾舞踏手)の
ソロ舞踏公演のサウンドトラックだが
『蝉丸の音楽』は「蝉丸」の舞踏公演のための音楽を集めたもの。
イマジネーションをさまざまにかきたててくれる。
できればその公演を一度観てみたいのだけど・・・。
 
 

 ■「風日誌」メニューに戻る
 ■「風遊戯」メニューに戻る
 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る