風日誌


岡本太郎「マイナスに賭けろ」

シェーンベルク「架空庭園の書」


2003.12.20

 

「ほぼ日」の「TAROの遺伝子」が面白い。
http://www.1101.com/taro/index.html
TAROとは岡本太郎のこと。
とくにオリジナル・ラヴの田島貴男さんの話がヌケている。
これまで岡本太郎についてはあまり関心のあるほうではなかったのだが、
田島貴男さんの話の影響で、岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を読んでいる。
面白い。
 
「ほぼ日」の田島貴男さんの話の第3回
「もったいないぞ、落ち込まないと」から。
http://www.1101.com/taro/idenshi/2003-12-16.html
 
        田島 岡本太郎さんの言う自由って、
                ただ自由なだけではないですね。
           「マイナスに賭けろ」っていう言葉が
           端的にあらわしていると思うんですが、
           縛りがきつければきついほど
           拘束や決まりごと、プレッシャーが
           あればあるほど、
           自由であろうと
           思うことに意義がある
           と言っているんだと思う。 
        ──  迷ったときには、
           プラスに思える道よりマイナスの道を選べ、
           という、TAROの言葉ですね。 
        田島 そっちに行ったら危ないんじゃないか、
           ということを知っているうえで、
           そっちの道に行ってしまえ、ということ。
           それは、す〜ごく正しいと
           思うんです。
           岡本太郎さんが言いたかったのは、
           「そういうところを通ったうえでの自由さ」
           なんじゃないのかな、という気がします。 
 
マイナスに賭けろ。
もったいないぞ、落ち込まないと。
危険な道をとる。
 
ぼくにいちばん欠けているのが
そんな「岡本太郎」なのかもしれない。
もちろん、「岡本太郎」になろうとは思わないけれど、
その「なんだ、これは」という気迫、
人の通らない危険な道をいく気概だけは持たねばと思ったのだ。
人が通った道だから安心だというのは
何もしないということに等しい。
といって人に注目され賞賛されることを目的にして
なにかをするというのも姑息である。
 
ふたたび、「ほぼ日」の田島貴男さんの話の第4回
「わ〜、敏子さんだ!」から。
岡本敏子さんと田島貴男さんの会話。
 
        敏子    原爆の絵なのよ。
           まんなかに、
           ガイコツが燃え上がっているの。 
        ──    そうなんです。
           「超マイナスの状況」で
           燃え上がっている。 
        田島    はー! 
        敏子    しかも誇り高くね。
           「こんなひどい目に遭ってかわいそうでしょう」
           という、悲しくみじめで
           縮こまった絵じゃないのよ。
           そんなことばかり言ってたらね、
           いまの人類は
           ここまできませんよ。
           だって、火山も爆発したし、津波もあったし
           ペストも流行ったし、いろいろあったよね。
           それに負けずにピシャッと、誇り高く、
           みんなここまで生きてきたんだもの。
           すごいことよ。 
        田島    ひゃー、そうか、そうですね。
           ガイコツが燃えてるんだ。すっごいな! 
        敏子    いい絵なのよ。
           わたくし、惚れ直したのよ。
           原爆という、まったくまがまがしい力が
           炸裂した瞬間に、人間の誇りがね、
           それに負けずにバーッと燃え上がったんだぞ、
           ていう絵なんだよ。
           岡本太郎じゃなければ、
           そんなの、できない絵なの。
           いいぞぉー! 
 
ところで、「なんだ、これは」という音楽って
どんなだろうと思って考えていると、
やはりこれは無調音楽をはじめたシェーンベルクを思い出した。
 
シェーンベルクが無調と表現主義という新しい様式を確立した作品は
作品15の、シュテファン・ゲオルゲの詩による「架空庭園の書」(1908-1909)。
手元には、グレングールド(ピアノ)+ヘレン・ヴァニー(メゾソプラノ)のCDがある。
 
この作品についてシェーンベルクは次のように語っている。
 
        <ゲオルゲによる15の歌曲>ではじめて、わたしは長年目の前にただよって
        いた表現と形式の理想に近づくのに成功した。いままでのわたしには、それを
        実現する力も自信もなかった。しかしいま、わたしはこの道に決定的に足を踏
        みいれた。わたしは、自分が、従来の美学のあらゆる制約をたち切ったという
        ことを自覚している。わたしは、自分にとって確かだと思われる目的にむかっ
        て歩きはじめたが、のりこえなければならない反対も、すでに感じている。わ
        たしは、ほんのちょっとした温度でも燃え立つような敵意を感じているし、こ
        れまでわたしを信じていた人のなかにさえ、この発展の必然性を認めない人が
        いるのではないかとおそれている。
 
そういえば、シュタイナーは、神智学協会と関わるようになることで
それまでのゲーテの自然科学研究に関する論文の校訂や
哲学的な著作、文芸雑誌等を通じた交友などが
突然冷ややかなものとなったようである。
それはそれまでの道からすれば、とても「危険な道」に他ならなかった。
しかし歩まねばならない道をシュタイナーは歩んでいったのだろう。
 
 

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