風日誌


発見学習

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「悲愴」と「月光」


2003.12.7

 

2003.10.20でもご紹介した島根県桜江町の「小さな自然館」に寄り、
反田さんとあれこれとしばらく話して過ごす。
これで4回目の訪問になるが、
反田さんと話しているとぼくもyuccaもとてもうれしくなる。
 
反田さんのちょっとシャイなところや頑固そうなところもいいけれど、
「小さな自然館」のHPに
「発見塾をつくろう」という項目があるように、
http://www.manekineko.ne.jp/gnh51301/hakkenjyuku.html
以下のような姿勢が伝わってくるからなのかもしれない。
 
        発見塾というのは発見学習※を行う学習塾のようなものです。
        現在コツコツ準備を続けています。
        郷土の自然の中に疑問点・問題点を見つけ、これをテーマにして
        専門的な知識を少しずつ習得しながら長期間にわたって探求的な
        学習活動を行っていくというものです。
        「知識は結果ではなく過程」という理念に基づき、知識獲得の
        過程を重視した探求的な学習活動を通じて発見やひらめきの喜び、
        達成感や効力感を体験しつつ代償をあてにしない学習意欲やしぶ
        とい思考力を育てていきたいと考えています。
 
        発見塾が目標とするもの
        ・代償をあてにしない学習意欲
        ・しぶとい思考力
 
        ※発見学習:   
        すでに完成品となっている知識の結論を教師が提示し解説して記
        憶させるという形態の学習ではなく、先人達がその結論を導出す
        るに至った過程を学習者自らが追体験しながら発見的に学んでい
        くというもの。
        「教育の過程」で著名なアメリカの心理学者J・S・ブルーナー
        が提唱した学習。
 
トポスは塾ではないけれど、
この「発見学習」的な姿勢というのは基本にしていきたいと常々思っている。
シュタイナーの精神科学の内容にしても、
「すでに完成品となっている知識の結論」などではなく、
「代償をあてにしない学習意欲」をもち、
「しぶとい思考力」をもちながら
「長期間にわたって探求的」な姿勢を持つことでしか
おそらくは理解できないような内容なのではないかと思う。
図式的な説明や理解の仕方をシュタイナーが常に避けようとしているのも
そういうことなのではないだろうか。
だから、たとえばシュタイナーの使っている用語なども、
「定義」して理解できるというようなものではない。
もちろんどこかから権威によって与えられるようなものとはまったく異なっている。
 
さて、今日は、ベートーヴェンの有名なピアノ・ソナタ
第8番「悲愴」と第14番「月光」をきいてみる。
今手元にあるのは、ルービンシュタインの演奏のものだけれど、
とくにルービンシュタインで、というのではない。
 
先日来、吉田秀和全集1(白水社)から「覚書ベートーヴェン」を読んでいるが、
あらためてベートーヴェンの「秘密」について目を開かされたところがあり
そこに挙げられている例がちょうど「悲愴」と「月光」なのである。
 
        私たちは、ベートーヴェンの創造の集約性に驚嘆してよいのか、あるいは
        一つの萌芽から、これほどにまでちがうものを生み出してくる、彼の創造
        の振幅の広さ、幻想力の拡がりについて驚嘆するべきか。
        まったくちがうものの中に同質性を見出す力。あるいは同一のものから無
        限の変化を生み出す力。
        これが、ベートーヴェンの天才の本質の最奥の秘密の一つである。
        だが、これは秘密の一つであって、全部ではない。
 
        ベートーヴェンにおける最も本質的な事柄の第二は、その同一の多様性の
        中に、発展があるということである。
 
まったくちがうものの中に同質性を見出す力。
同一のものから無限の変化を生み出す力。
そして、その同一の多様性の中に、発展があるということ。
 
これもまた「発見学習」にほかならないような気がする。
そしてまた、シュタイナーの精神科学を学ぶときにも
そのことが基本になっているということができるのかもしれない。
 
 

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