風日誌


四次元

上条恒彦「見果てぬ夢」


2003.11.13

 

気にはなっていたものの機会をもてないでいた
小森健太郎氏の『Gの残影』(文藝春秋/2003.3.30)を読む。
Gというのはグルジェフのこと。
ウスペンスキーとそのグルジェフとの話になっている。
 
おそらくこの本は、ウスペンスキーの『ターシャム・オルガヌム』を訳し、
ウスペンスキーをテーマにしたHPを開いている高橋弘泰氏の影響もあって
できたんだろうと思うのだけれど、
その『ターシャム・オルガヌム』はいわゆる「四次元」がテーマになっていて
トポスのHPでシュタイナーの『四次元』についての講義の訳を
ぼくがはじめたのをきっかけに高橋弘泰氏んからメールをもらったりした。
(けれど結局途中からで佐々木さんに訳してもらっているのだけれど)
小森健太郎氏からもそれ以前に、ぼくがその訳になる
ミハイル・ナイーミの『ミルダッドの書』のことを書いたのがきっかけで、
メールをもらったりしたので、世の中狭いなあと思ったことがある。
 
で、その『Gの残影』のなかでもシュタイナーの四次元についての講義が
とりあげられているのだけれど、こういうふうにさらりと
ウスペンスキーのセリフのなかで片付けられていたりする。
 
        博学なシュタイナー博士は、その高次元論においても、ある程度は
        新しい境地を拓き、貢献している面がある。しかしその論は主要部
        において、チャールズ・ハワード・ヒントンの『四次元』論の圏内
        を出るものではない
 
たしかにシュタイナーの『四次元』には
そんなにつっこんだ話はでてきていない。
まあ、四次元についてのとらえ方をいちおう説明しておこうか、
という程度の講義内容になっているし、
きわめて初期のもので速記もかなり欠落などがたくさんあったりもする。
しかし残念なのは、グルジェフやウスペンスキーのほうに関心が向いていると
どうもシュタイナーの精神科学的な方向性のほうには
あまりぴんとこないのではないかというところである。
 
とはいえ、逆にいうと、ぼくのほうは、
グルジェフやウスペンスキーに関心がないわけではなくて、
邦訳とかはひととおり読んでいたりもするのだけれど、
どうもいまひとつ熱がこもってこないところがあったりするから、
おそらくは何を問題意識としてもっているか、というあたりに
関係しているんだろうと思う。
 
さて、今日のBGMは少しばかり熱のこもってきけるものを。
これも少し前から気になっていたけれど、
そのタイトルにある「お母さん」というのが邪魔して(^^;)、
今度今度と思いながらそのままになっていたアルバム、
宮崎駿プロデュースによる上条恒彦の『お母さんの写真』から「見果てぬ夢」。
 
このアルバムがつくられたきっかけは、宮崎駿が
あるコンサートで上条恒彦の歌う「見果てぬ夢」をきいたことだという。
その「見果てぬ夢」はアルバムの最後に
ライブ・レコーディングで収録されていて泣かせる。
 
ぼくが「見果てぬ夢」をはじめてきいたのは
もう30年以上前のことになると思うのだけれど、だれの歌できいたのだろう。
今は思い出せないのだけれど、たしか何人かの歌できいたのを覚えている。
そしてそのときもぼくはその「見果てぬ夢」にじーんときていた。
見果てぬ夢とはimpossible dream
この上条恒彦による日本語ヴァージョンの
語り入りの歌はほんとうに泣かせる。
 
見果てぬ夢というのは、
きわめて即物的になってしまっている世にあって
見えないものこそがもっとも大事なものであるということを
象徴しているのかもしれない。
四次元もまた目には見えないけれど
それこそがこの三次元を包んで存在しているように。
 

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