ルネサンスの音楽
「レオナルド」に惹かれ、服部まゆみの新刊『レオナルドのユダ』(角川書店)を読む。 いちおうミステリーではあるのだろうけれど、 エンディング等に向かうストーリーはとくにどうということもない。 そこに主眼はなかったのかもしれないとさえ思う。 いちおうミステリー的な謎解きなども織り込んでおこう、という程度。 それよりも、こうしてレオナルドという人の不思議な魅力が描かれていれば、 それだけで読みがいが十分にある。 服部まゆみの作品は今回はじめて読んだが、 じっくり読み進めることのできる確かな文体をもっている。 ほかの作品も読んでみたいが、 絶版になっているか書店にほとんど置かれてないものばかりだ。 寡作だけれどしっかりしたこうした文章は、 少しばかり地味なので、じっさいのところそんなに売れないのかもしれない。 服部まゆみは、銅版画を学び、第10回日仏現代美術展で ビブリオティック・デ・ザール賞とかいう賞を受賞しているらしい。 その授賞式の思い出を小説にしたのが、 タイトルだけしかしらないけれど『時のアラベスク』だということである。 この『レオナルドのユダ』には、美術家としての服部まゆみの レオナルドへの深い視線が織り込まれているのかもしれない。 野田又夫『ルネッサンスの思想家たち』(岩波新書1963発行)という タイトル通りルネッサンスの思想家たちについての本をひろいよみしている。 思想家とひとくちにいっても、そこでとりあげられているのは、ロレンツォ=ヴァラ、 ニコラウス=クザーヌス、マルシリオ=フィチーノ、ピコ=デラ=ミランドーラ、 ピエトロ=ポンポナッツィ、ニッコロ=マキアヴェリ、エラスムス、ルター、 シュヴェンクフェルト、フランク、パラケルスス、コペルニクス、 カルダーノ、テレシオ、ザバレラ、クレモーニ、ジョルダーノ=ブルーノ、 トマソ=カンパネルラ、ヤコプ=ベーメ、モンテーニュ、 フランシス=ベーコン、ティコ=ブラーエ、ケプラー、ガリレオ、と きわめて多彩な顔ぶれになっている。 ところで、ルネサンスでは、プラトンとアリストテレスが アラビア経由で受容されてゆくわけだけれど、 そのふたつの流れというのはなかなか統合されにくいようで、 それはおそらく現代においてもどこか水と油のように なってしまう傾向があるのかもしれない。 それは、「感覚的世界から精神的世界へと通じる道」 もしくはその逆の方向性の困難さにもつながっている。 その点でいっても、シュタイナーの精神科学は そこにどーんと大きな道を通しているところがある。 そのぶん、とても広大な領域をカバーしているので、 なかなか受容されがたいところがあるのだろう。 ふと思い出したのだけれど、 ルネッサンス時期にとても影響を与えた プラトンの「ティマイオス」というのはなぜか文庫化されないようだし、 全集版のなかでしか読めないにもかかわらず絶版のまま。 ぼくも図書館で借りてきて読む以外の方法がなかったりした。 やはり哲学者としてのプラトンを論じる際、 「ティマイオス」とかいうのはちょっと扱いにくいからかもしれない。 さて、レオナルドは音楽家としてもすぐれていたようだけれど、 その時代どんな音楽をきいていたのだろう。 調べていないのでわからないのだけれど、 レオナルドは1452-1509だから、 その時代の音楽家たちの音楽をきいていたのだろうと推察される。 生没年でいうと、ギョーム・デュファイ(1400頃-1474) ヨハンネス・オケゲム(1410頃-1497) ジョスカン・デ・プレ(1440頃-1521) ハインリヒ・イザーク(1450頃-1517) クレマン・ジャヌカン(1485頃-1558)あたりまでで、 トマス・タリス(1505頃-1585)になるとちょっと時代がずれてくるようだ。 CDショップでも古楽関係のコーナーでは廉価版などもけっこう置いてあって、 時代にあわせたルネサンス時期の音楽を探すのも比較的容易になっている。 今度、レオナルドのきいていた音楽を調べてみることにしたい。 おそらくレオネルドのつくった音楽とかは残ってないだろうけれど。 |
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