風日誌


能動的な活動としての認識

山下和仁・ギター小品集


2003.11.07

 

シュタイナー『照応する宇宙』(シュタイナーコレクション3 筑摩書房)を読み終える。
第二部の「感覚界、魂界、霊界を巡る輪廻の諸相」の最後に
次のマントラがあり力づけられる。
 
        空間の中で謎が謎を呼ぶ。
        時間の中で謎が謎に続く。
        空間の限界を超え
        時間の限界を超えて
        みずからと出会う人だけが
        謎を解く力を見出す。
 
毎日、少なくともシュタイナーの講義などの一講分ほどは読むことにしているのだけれど、
そのたびごとに、魂に熱を与えられる。
 
ところで、シュタイナーは『ゲーテ的世界観の認識論要綱』の
「新版の序」(1923年11月)でも、その1886年に刊行された認識論について、
「私がそれ以降語り、また出版したすべてについての認識論的基礎づけであり、
その正当性を明白にするものであるように思われる。
そこで語られている認識の本質は、感覚的世界から精神的世界へと通じる道を開くものである。」
と述べられているが、このところとみにそのことを実感させられている。
 
「感覚的世界から精神的世界へと通じる道」という謎を解くためにも、
ゲーテ的な「眼」をまずは持たなければならない。
ゲーテが花崗岩について、そのメタモルフォーゼについて述べているのを見よ!
そこでは「観察」することが創造へと展開しているではないか。
 
シュタイナーが『ゲーテ的世界観の認識論要綱』で述べた認識論は、
「認識を人間精神の能動的な活動であると捉えた」のである。
 
私たちはまずはこの大地を見る「眼」を持たねばならない。
それを通じて時空を超えたはるかなる天空を精神を持つ可能性を得ることになる。
天青石を大地から掘り出してくることで
そこに土星紀への視線を得ることができるように。
 
今日は、山下和仁のギター演奏をきいてみることにしよう。
1991年に発売された「鳥の歌/山下和仁 ギター小品集」
Kazuhito Yamashita Plays His Favorites(CRCC-8)
 
ぼくが山下和仁のギターをはじめてきいたのは
たしか吉松隆の「天馬効果」のレコードでだったと記憶しているが、
そのとき以来、山下和仁のギターはぼくのなかである可能性をもって響いている。
このCDは、スペインのガリシア地方に伝わる古謡「コンポステラの歌」ではじまり、
23曲目、カタロニア民謡の「鳥の歌」で終わるが、
一曲一曲が深い愛情で育まれて響いてくる。
こういう響きはみずからの大地性をそれを慈しむがゆえに、
それを深めることで鳥のように天空へと飛翔させてくれるような気がする。
それもまた「「感覚的世界から精神的世界へと通じる道」なのかもしれない。
 

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