風日誌


タルホ

ショッキング・ブルー「ヴィーナス」


2003.10.30

 

         これまでタルホについては何度も綴り、何度も発言してきた。
        ぼくの青春時代の終わりに最大の影響を与えたのだから当然だが、
        最近はタルホを読まない世代というか、稲垣足穂の名前すら知ら
        ない連中ばかりがまわりに多くて、いちいち説明するのが面倒に
        なってきた。ふん、もう教えてやらないぞ。自分で辿れ!
         けれども先だって鎌田東二君が主宰しているらしい東京自由大
        学という、名前は凄いが教室は神田のビルの小さな一室というと
        ころで、タルホについて話してくれというので、久々に気分に任
        せたタルホ語りをしてみた。「薄板界」に「AO円筒」というイ
        メージを被せて最初に話してみたら、何人かのタルホ好きを除い
        て目をまるくしていた。そうなのだ、タルホに目をまるくするこ
        と、それこそぼくがタルホを伝えて皆にそうなってほしかったこ
        とだった。
         だからこのときの語りは、いくぶん気持ちがよかった。よかっ
        たのだが、やはりタルホの文章を諸君が読んでいるかいないかと
        いうことは、ちょっと決定的なのだ。 
 
        松岡正剛の千夜千冊
        http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html
        【0879】03年10月29日 稲垣足穂『一千一秒物語』(1969 新潮文庫)
 
稲垣足穂の『一千一秒物語』(新潮文庫)を偶然見つけたのは高校生の頃。
松岡正剛の「遊」に出会う前のことなのだけれど、
その出会いはほんとうに「目をまるくする」ようなものだった。
そして松岡正剛の「遊」で、タルホに再会して
とてもうれしかったのを覚えている。
そういえば、倉田江美の『一万十秒物語』も
『一千一秒物語』からきているはずである。
(『一万十秒物語』はちくま文庫で再刊されているのでたぶんまだ読めるはず)
 
いまではタルホを知らない人も多いんだろうけど、
タルホを知っているか知らないかというのは大きい。
それにこういうタルホのような存在は
だれかに教えてもらって知るというのではいけない。
その存在がいきなり、まるで偶然のように
向こうから迫ってくるのを待つのがいい。
待つのがいいといっても、いつまでも来ないようではいけない。
その突然のあらわれを驚くことのできるように
ちゃんと準備をしておく必要がある。
準備のないところには決して現われない。
 
それはタルホにかぎらず、
そういう存在はそういう現れ方をする。
だから、それを教えてもらうというのではいけないのだ。
あくまでも直に出会う必要がある。
そうでなくては出会えたことにならない。
仕方なくその存在を教えてもらうことになったとしても、
「自分で辿」る、ということが基本条件になる。
そうでなければ、タルホというような存在とは出会えたことにならない。
 
音楽でも、そういう出会いというのはあって、
一曲だけでもエポックになるような音楽があったりする。
ぼくにとっては、たとえばショッキング・ブルーの「ヴィーナス」もそのひとつ。
 
ぼくがいわゆるポップスをききはじめた最初がその一曲の衝撃だった。
いきなりラジオからきこえてきたその曲の印象は今でも鮮烈だ。
あの冒頭のギターの音とそれに続くヴォーカル。
音楽のクオリティが云々という話というよりも
それがいきなりぼくのまえに現われたとしかいいようがない体験。
その頃はまるで英語もわからないときだったし
歌詞の意味もまるでわからなかったけれど、
その音は細部まで記憶されることになったのである。
 
その一曲のおかげで、その後数年間、
ぼくはポップスとロックにどっぷり浸かることになった。
70年代初頭のあの黄金時代。
デヴィッド・ボウイの「スターマン」も流れていたあの時代。
 

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風日誌


小さな自然館・銅ケ丸鉱山跡探検・探検心得

スティーブ・ウィンウッド「アバウト・タイム」


2003.10.20

 

昨日は、鉱物探検遊戯隊の私たちは、島根県桜江町の「小さな自然館」を訪問。
http://www.manekineko.ne.jp/gnh51301
 
「当館は自然史関係(隕石、化石、岩石、鉱物)の標本およそ700点を展示している
個人立の博物館類似施設です。
 当館は建物も展示もすべて個人の手による手作りで、
まさに手作り足作りの日本一粗末で素朴な自然史博物館です。
地域自然史の調査と研究を活動の軸に野外での発見学習の実践と普及を目ざしています。」
とのこと。
なかなか共感と好感の持てるスタンスとコンセプト。
(詳しくは、HPを)
 
展示品からさまざまな啓発を受けながら、
その後、近くにある銅ケ丸鉱山跡を訪ねるための情報収集。
素朴でシャイだけれどとても親切な担当の方に
わざわざ地図までいただいて出かけるが、
残念ながら少しばかり道をまちがえて、ほとんど近くの山への登山となる顛末(^^;)。
かなり急傾斜の登山は正直かなりつらいものがあった。
しかしその後、めげず、半ば道なき道をに再チャレンジで鉱山跡の途中の
大きなズリのところまで行き、少しだけ黄鉄鉱などのサンプルを採取。
再チャレンジを期すものの、ちょっとばかりハードな行程になる。
 
ここで、「小さな自然館」のHPから学んだ
私たちの敢行している鉱物探検遊戯の際の重要な心得をいくつか。
 
ケガや事故を回避する手段をよく心得てナマの自然と正面から向き合おう!
http://www.manekineko.ne.jp/gnh51301/kansatu1.html
 
        自然には二つの顔がある。 
        自然の一面だけを見て自然を評価すべきではない。
 
         自然には人に優しい面がたくさんありますが、逆に非常に過酷な面も持ち
        合わせています。 自然観察会というとどうしても参加者の身の安全を第一
        に考え、あえて危険な面を排除したものになりがちでせすが、本当に自然に
        接したいのであれば自然の良い面と悪い面の両方に接すべきだと思います。
         しかし、こうなると必ず身に危険が振りかかってくることになり、これ
        が観察会をやる上で大きなネックになります。
         だからといって危険だから最初から何もしないのでは悪い面はもちろん
        良い面だって知らないままで済んでしまいます。
         もちろん発達の未熟な小さな子供に過酷な面を見せるのは問題がありま
        すが、ある程度大きな子供や大人の方たちにはぜひ危険防止の手段をよく
        知った上でナマの自然と正面から向き合っていただきたいと思います。
 
        「自己責任」こそ自然観察活動の大原則
 
         「自然に親しもう」ということがよく言われますが、自然の良い面ばか
        りを見て悪い面を無視するようではいけないと思います。 人を評価する
        場合に、人の良いところばかりを見てあの人は良い人だと言うのと同じこ
        とです。
         しかし、ナマの自然の中には危険な局面がたくさんあり、これが自然観
        察会を催す際の大きなネックになります。
         よく保護者から「危険だからまた今度ね」とか「親がついて行けないか
        らよすわ」といことをよく聞かされるんですが、全く危険のない野外活動
        などありえるわけはないはずで、あえて危険因子を排除した自然観察ばか
        りでは自然に対する免疫がさっぱりできてこないと思います。 今の世の
        中は「保障と責任転嫁」の時代という感じがしますが、あえて「自己責任」
        ということを理解し、予想される危険に対する防止策を十分に知れば、大
        きなケガや事故もなくナマの自然と正面から向き合うことも可能になるの
        ではないかと思います。
 
今日のBGMは、スティーブ・ウィンウッドの
6年ぶりというアルバム、「アバウト・タイム」。
2003.7.16発売 SICP414
 
スティーブ・ウィンウッドは1964年に、15際にしてデビュー。
その後、トラフィック、ブラインド・フェイスというバンドを経て
1977年からソロ活動という息の長いミュージシャン。
 
今回のアルバムは、まるでデヴィッド・ボウイの「リアリティ」がそうであるように
その本来のエネルギーが自然なかたちでパワフルにでているように感じる。
 
アルバムのライナー・ノート(蒔田亜土)より。
 
        どんなにテクノロジーが発達し、レコーディング技術が進化しようとも、
        それを活かす生身の創造力が本物でなければ、何の役にも立たない。便利
        な道具によって陳腐なコピーは大量生産できるが、永遠に新鮮さを失わず
        に生き続けるアートは、人間のオリジナリティによって生み出されるもの
        なのだ。
 

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小さな自然館・銅ケ丸鉱山跡探検・探検心得

スティーブ・ウィンウッド「アバウト・タイム」


2003.10.20

 

昨日は、鉱物探検遊戯隊の私たちは、島根県桜江町の「小さな自然館」を訪問。
http://www.manekineko.ne.jp/gnh51301
 
「当館は自然史関係(隕石、化石、岩石、鉱物)の標本およそ700点を展示している
個人立の博物館類似施設です。
 当館は建物も展示もすべて個人の手による手作りで、
まさに手作り足作りの日本一粗末で素朴な自然史博物館です。
地域自然史の調査と研究を活動の軸に野外での発見学習の実践と普及を目ざしています。」
とのこと。
なかなか共感と好感の持てるスタンスとコンセプト。
(詳しくは、HPを)
 
展示品からさまざまな啓発を受けながら、
その後、近くにある銅ケ丸鉱山跡を訪ねるための情報収集。
素朴でシャイだけれどとても親切な担当の方に
わざわざ地図までいただいて出かけるが、
残念ながら少しばかり道をまちがえて、ほとんど近くの山への登山となる顛末(^^;)。
かなり急傾斜の登山は正直かなりつらいものがあった。
しかしその後、めげず、半ば道なき道をに再チャレンジで鉱山跡の途中の
大きなズリのところまで行き、少しだけ黄鉄鉱などのサンプルを採取。
再チャレンジを期すものの、ちょっとばかりハードな行程になる。
 
ここで、「小さな自然館」のHPから学んだ
私たちの敢行している鉱物探検遊戯の際の重要な心得をいくつか。
 
ケガや事故を回避する手段をよく心得てナマの自然と正面から向き合おう!
http://www.manekineko.ne.jp/gnh51301/kansatu1.html
 
        自然には二つの顔がある。 
        自然の一面だけを見て自然を評価すべきではない。
 
         自然には人に優しい面がたくさんありますが、逆に非常に過酷な面も持ち
        合わせています。 自然観察会というとどうしても参加者の身の安全を第一
        に考え、あえて危険な面を排除したものになりがちでせすが、本当に自然に
        接したいのであれば自然の良い面と悪い面の両方に接すべきだと思います。
         しかし、こうなると必ず身に危険が振りかかってくることになり、これ
        が観察会をやる上で大きなネックになります。
         だからといって危険だから最初から何もしないのでは悪い面はもちろん
        良い面だって知らないままで済んでしまいます。
         もちろん発達の未熟な小さな子供に過酷な面を見せるのは問題がありま
        すが、ある程度大きな子供や大人の方たちにはぜひ危険防止の手段をよく
        知った上でナマの自然と正面から向き合っていただきたいと思います。
 
        「自己責任」こそ自然観察活動の大原則
 
         「自然に親しもう」ということがよく言われますが、自然の良い面ばか
        りを見て悪い面を無視するようではいけないと思います。 人を評価する
        場合に、人の良いところばかりを見てあの人は良い人だと言うのと同じこ
        とです。
         しかし、ナマの自然の中には危険な局面がたくさんあり、これが自然観
        察会を催す際の大きなネックになります。
         よく保護者から「危険だからまた今度ね」とか「親がついて行けないか
        らよすわ」といことをよく聞かされるんですが、全く危険のない野外活動
        などありえるわけはないはずで、あえて危険因子を排除した自然観察ばか
        りでは自然に対する免疫がさっぱりできてこないと思います。 今の世の
        中は「保障と責任転嫁」の時代という感じがしますが、あえて「自己責任」
        ということを理解し、予想される危険に対する防止策を十分に知れば、大
        きなケガや事故もなくナマの自然と正面から向き合うことも可能になるの
        ではないかと思います。
 
今日のBGMは、スティーブ・ウィンウッドの
6年ぶりというアルバム、「アバウト・タイム」。
2003.7.16発売 SICP414
 
スティーブ・ウィンウッドは1964年に、15際にしてデビュー。
その後、トラフィック、ブラインド・フェイスというバンドを経て
1977年からソロ活動という息の長いミュージシャン。
 
今回のアルバムは、まるでデヴィッド・ボウイの「リアリティ」がそうであるように
その本来のエネルギーが自然なかたちでパワフルにでているように感じる。
 
アルバムのライナー・ノート(蒔田亜土)より。
 
        どんなにテクノロジーが発達し、レコーディング技術が進化しようとも、
        それを活かす生身の創造力が本物でなければ、何の役にも立たない。便利
        な道具によって陳腐なコピーは大量生産できるが、永遠に新鮮さを失わず
        に生き続けるアートは、人間のオリジナリティによって生み出されるもの
        なのだ。
 

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