風日誌


小さな自然館・銅ケ丸鉱山跡探検・探検心得

スティーブ・ウィンウッド「アバウト・タイム」


2003.10.20

 

昨日は、鉱物探検遊戯隊の私たちは、島根県桜江町の「小さな自然館」を訪問。
http://www.manekineko.ne.jp/gnh51301
 
「当館は自然史関係(隕石、化石、岩石、鉱物)の標本およそ700点を展示している
個人立の博物館類似施設です。
 当館は建物も展示もすべて個人の手による手作りで、
まさに手作り足作りの日本一粗末で素朴な自然史博物館です。
地域自然史の調査と研究を活動の軸に野外での発見学習の実践と普及を目ざしています。」
とのこと。
なかなか共感と好感の持てるスタンスとコンセプト。
(詳しくは、HPを)
 
展示品からさまざまな啓発を受けながら、
その後、近くにある銅ケ丸鉱山跡を訪ねるための情報収集。
素朴でシャイだけれどとても親切な担当の方に
わざわざ地図までいただいて出かけるが、
残念ながら少しばかり道をまちがえて、ほとんど近くの山への登山となる顛末(^^;)。
かなり急傾斜の登山は正直かなりつらいものがあった。
しかしその後、めげず、半ば道なき道をに再チャレンジで鉱山跡の途中の
大きなズリのところまで行き、少しだけ黄鉄鉱などのサンプルを採取。
再チャレンジを期すものの、ちょっとばかりハードな行程になる。
 
ここで、「小さな自然館」のHPから学んだ
私たちの敢行している鉱物探検遊戯の際の重要な心得をいくつか。
 
ケガや事故を回避する手段をよく心得てナマの自然と正面から向き合おう!
http://www.manekineko.ne.jp/gnh51301/kansatu1.html
 
        自然には二つの顔がある。 
        自然の一面だけを見て自然を評価すべきではない。
 
         自然には人に優しい面がたくさんありますが、逆に非常に過酷な面も持ち
        合わせています。 自然観察会というとどうしても参加者の身の安全を第一
        に考え、あえて危険な面を排除したものになりがちでせすが、本当に自然に
        接したいのであれば自然の良い面と悪い面の両方に接すべきだと思います。
         しかし、こうなると必ず身に危険が振りかかってくることになり、これ
        が観察会をやる上で大きなネックになります。
         だからといって危険だから最初から何もしないのでは悪い面はもちろん
        良い面だって知らないままで済んでしまいます。
         もちろん発達の未熟な小さな子供に過酷な面を見せるのは問題がありま
        すが、ある程度大きな子供や大人の方たちにはぜひ危険防止の手段をよく
        知った上でナマの自然と正面から向き合っていただきたいと思います。
 
        「自己責任」こそ自然観察活動の大原則
 
         「自然に親しもう」ということがよく言われますが、自然の良い面ばか
        りを見て悪い面を無視するようではいけないと思います。 人を評価する
        場合に、人の良いところばかりを見てあの人は良い人だと言うのと同じこ
        とです。
         しかし、ナマの自然の中には危険な局面がたくさんあり、これが自然観
        察会を催す際の大きなネックになります。
         よく保護者から「危険だからまた今度ね」とか「親がついて行けないか
        らよすわ」といことをよく聞かされるんですが、全く危険のない野外活動
        などありえるわけはないはずで、あえて危険因子を排除した自然観察ばか
        りでは自然に対する免疫がさっぱりできてこないと思います。 今の世の
        中は「保障と責任転嫁」の時代という感じがしますが、あえて「自己責任」
        ということを理解し、予想される危険に対する防止策を十分に知れば、大
        きなケガや事故もなくナマの自然と正面から向き合うことも可能になるの
        ではないかと思います。
 
今日のBGMは、スティーブ・ウィンウッドの
6年ぶりというアルバム、「アバウト・タイム」。
2003.7.16発売 SICP414
 
スティーブ・ウィンウッドは1964年に、15際にしてデビュー。
その後、トラフィック、ブラインド・フェイスというバンドを経て
1977年からソロ活動という息の長いミュージシャン。
 
今回のアルバムは、まるでデヴィッド・ボウイの「リアリティ」がそうであるように
その本来のエネルギーが自然なかたちでパワフルにでているように感じる。
 
アルバムのライナー・ノート(蒔田亜土)より。
 
        どんなにテクノロジーが発達し、レコーディング技術が進化しようとも、
        それを活かす生身の創造力が本物でなければ、何の役にも立たない。便利
        な道具によって陳腐なコピーは大量生産できるが、永遠に新鮮さを失わず
        に生き続けるアートは、人間のオリジナリティによって生み出されるもの
        なのだ。
 

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