粕谷栄市という「散文詩」を書く詩人のことをすっかり忘れていたのを ひさしぶりにその名を目にし、読み直してみることにした。 「思想としての散文詩」という粕谷栄市論(横木徳久)で (「続・粕谷栄市詩集」所収) 戦後詩史における散文詩のスタイルについて、 入沢康夫の『ランゲルハンス氏の島』(1962) 金井美恵子の『春の画の館』(1973) 岩成達也の『レオナルドの船に関する断片補足』(1969) 粒来哲蔵の『孤島記』(1969) などの詩集が挙げられていたが、 たしかに粕谷栄市のように散文詩しか書かない詩人は珍しい。 ちなみに、粕谷栄市の『世界の構造』は1971年に出ている。 そういえば、上記に挙げた代表的な散文詩の詩集は 思潮社の現代詩文庫「31入沢康夫詩集」「55金井美恵子詩集」 「58岩成達也詩集」「72粒来哲蔵詩集」に収められていたとと思い、 本棚からそれらの詩集をひっぱりだしてみた。 たしかに「散文詩」という視点を あらためて捉え直してみる必要もありありそうだ。 さて、粕谷栄市詩集(現代詩文庫67/思潮社)が出たのが1976年。 その初版がずっと手元にあったが読み返すこともなく、 25年以上が経ったことになる。 そして、今年、2003年になって、 続・粕谷栄市詩集(現代詩文庫173/思潮社)が出た。 その時間の隔たり・・・。 今度の続・粕谷栄市詩集を見てみると、 1971年に『世界の構造』という詩集を出して以来、 1989年に『悪霊』を出すまで、 18年もの時間が経過していることになっている。 そして詩人自身のこういう言葉もある。 十年ほど、ろくに詩を書かなかった。いやもっと長かったろうか。 私の四十歳代から、五十歳代にかけて、である。そうだったのか。 私にはわからない。たぶん、私に、その必要がなかったのだ。 「その必要」があるかないか。 その言葉がぼくのところでリフレインする。 そういえば、ぼくがこうしてネットでなにがしかを書くようになるまで、 おそらく「その必要がなかった」のだということに思い至った。 もちろん、とりたてていうほどの「必要」があるわけでもないのだけれど、 今はこうしてなにがしかの言葉を書き付けるようになっている。 そして「その必要」がなくなったときには、 またこうした言葉は書かれなくなるのだろう。 おそらくそのほうがいい。 「言葉」がある意味で、「訪れる」ものなのだから。 「訪れる」というのは、「音」を連れること。 そして、この風日誌でも、「音」が連れられてくる。 今日は、落語の『淀五郎』という演目を 志ん生と圓生でききくらべしてみることにする。 ともに1970年代半ば頃の録音。 『淀五郎』というのは、判官切腹の場の話だが、 主人公の淀五郎は、別名『四代目』『中村秀鶴』という 江戸後期に活躍した歌舞伎役者で、実話がもとになっているらしい。 ききくらべだが、志ん生と圓生のように どちらもすばらしい語り手・演者のものをくらべると その持ち味の違いがわかって面白い。 音楽もききくらべするとまた違った味わいがあるように やはり落語にもこうしてくらべてみてはじめて発見できることがある。 |
■「風日誌」メニューに戻る
■「風遊戯」メニューに戻る
■神秘学遊戯団ホームページに戻る