風日誌


細木数子の六星占術の方向性への疑問

綾戸智恵の「LIVE!」


2003.10.02

 

昨日、一昨日と出張していて、
ニュースでも見ようと宿でつけたテレビで
細木数子が芸能人の占いを公開でする番組が映っていた。
久しぶりにテレビを見ると珍しくて、つい見てしまうことになった。
 
芸能人を相手にずばずばと指摘していく態度は
ある意味で(ショー的にいっても)小気味いいとでもいえるものだし、
その独自の六星占術はおそらくそれなりにすぐれてもいるのだろうが、
次第に疑問がわいてくるのは、その占いの背後にある価値観のことだった。
 
細木数子は、安岡正篤に師事し、易学・万象学を学んだということだけれど、
その占いの指針としている方向性は、
安岡正篤がどうしても離れることのできなかったであろう
ある種儒教的な価値観に通じるところがあるように感じた。
(とはいえ、ぼくも安岡正篤の著作からは多くを学んでいるのだけれど)
 
もちろん指摘している内容は、もっともなことばかりなのだけれど、
巨万の富をつかむだとか、女は台所だとか、
そういう価値観を指摘しながら、それらの意味を問い直すこともなされず、
それらが肯定され、認識プロセスのまったく欠けたまま結論が指し示されていた。
テレビ番組としてはそのほうが演出効果があって、
細木数子もその線で見せようとしたのだろうけれど、
それだけではなく、おそらくその占術の在り方そのものが、
「結論」を示すためにあるというところがあるのだろう。
 
たんなるぼくの印象でしかないのだけれど、東洋の占術の価値観には、
儒教道徳的なものとそれに基づいた秩序的なものを肯定的にとらえ
それらに反するものを否定的にとらえるところがあるように思える。
今回の細木数子の占いからもそれに通じるところを感じた。
おそらくその方向性においてはその通りなのだけれど、
その方向性とは異なった在り方を生きようとするならば、
その占いはいったい何を意味することになるのだろうか。
その自信に満ちた態度はいったい何を意味するのだろうか。
ぼくにはどうしてもどこかで違和感を禁じ得なかった。
天狗さんが団扇を持って得意満面に堂々と演じているショーとして
笑って済ませることもでできるし、
実際ぼくもほとんどはそうしていたわけだけれど・・・。
 
さて、そんな元気な占い師の前には、
同じくらいパワーのある音楽でないと負けてしまうので、
今日は、綾戸智恵の「LIVE!」あたりがいいのかもしれない。
 
この綾戸智恵の声もいっぱい元気をくれるところがあるけれど、
実はその反面、どこかで何か忘れ物をした気にさせられるところもあったりする。
振り子が片方にふれるとまたもう一方に振れざるをえなくなるように。
 
 

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