風日誌


自分は何者なのか

スティング「セイクレッド・ラヴ」


2003.09.13

 

アラファト議長の追放がイスラエルによって決定され、
台風14号は80メートルの風速ですべてを吹き飛ばす。
自民党の総裁選は食べたいものがみつからないまま
メニューから本日のおすすめ定食を選ぶかのようで、
日本の国技かもしれない柔道の世界選手権では
金メダルだ五輪枠を逃すだとかまことに忙しい。
阪神は今夜にもVだとかファンもまことに忙しい。
 
スティングの「シェイプ・オブ・マイ・ライフ」の歌詞を思い出す。
 
        わかっているよ
        スペードは兵士の剣で
        クラブは戦争の兵器だと言うことを
        この世界ではダイヤがお金だということもね
        でもぼくのハートのかたちとは違うんだ
        ぼくのハートのかたちとは違うんだ
        違うんだ ぼくのハートのかたちとは
 
スティングの新譜「セイクレッド・ラヴ」の日本盤の
ボーナストラックにも収められている。
 
このアルバムはこれまでのアルバムにもまして力強い。
スティングの声には不思議な力があって、
単なる熱ではなく静かに反射する意識に裏打ちされている。
デヴィッド・シルヴィアンよりもとてもエモーショナルだけれど。
 
このアルバムは9・11以降のスティングのさまざまな模索が反映されているようだ。
2001年9月11日、スティングはイタリアのトスカーナにある自宅で
スペシャルコンサートを開催することになっていたそうだが、
その事件を受けて中止するか予定通り行なうべきかを話し合った結果、
命を失った人たちに捧げる「フラジャイル」を演奏し、
その後どうするか問い直すことを選択した。
その模様はライブCD『...オール・ディス・タイム』にも収録されているそうである。
そして今回のアルバム「セイクレッド・ラヴ」は2001年9月12日に着手された。
 
スティングはこのように語っている。
 
        僕は9月11日の晩にコンサートをやったんだが、あのタワーの片側にいた友達
        を一人失ってしまったこともあって、とてもじゃないがショウをやるのにもっ
        てこいの雰囲気とはいえなかった。が、それでも僕はやった。僕なりにショウ
        をやり、そしてそれを撮影し……。あれは奇妙な夜だったよ。その翌日、僕は
        長い時間かけて瞑想し、自分は何者なのか、このような世の中にあって曲を書
        いて歌う人間にどのような使い道があるのか、僕のやっていることに何らかの
        効能はあるのか、誰かの役には立っているのか、といったことを考えたんだ。
        言うまでもないが、そこで出た答えはノーだった。虚無感を覚えたよ。けれど
        も“自分は役立たずだ”という思いから始まって、このアルバムは徐々に育っ
        ていった。最初は極めてパーソナルな曲を書くことに始まり、そうした小宇宙
        から派生した曲たちが広がりを持ち、そして世界を語り始めたんだ。この世に
        おける僕たちの立ち位置とか、自分たちの行いによって僕らがいかにこの世の
        中を作ってきたのか、といったことをね
 
日々、じぶんがいったい何をしているかを自問自答することが多い。
そして結論はおのずと“自分は役立たずだ”というふうになってしまうのだけれど、
同時に思うのは、ぼく自身もほかのあらゆる存在と同じく
この世界に参加しているということは否定できないということだ。
役にたつとかたたないとかという視点はあまり好きじゃないし
そういうことを考えていると自分をすごく嫌らしいところに閉じ込めることになる。
少なくとも出発点には、自分がこの世界になにがしか参加していて、
あらゆる存在と関係性の網の目のなかにいるということがある。
そしておそらく過去の数限りない生もふくめて
ぼくはなんらかのかたちで「この世の中を作ってきた」のだということも。
 
「セイクレッド・ラヴ」の9曲目にある
「ザ・ブック・オブ・マイ・ライフ」のように
「先は読めない」のだけれど。
 
        ページはどんどん進むけれど
        僕にはそれがどこに行こうとしているのか分からない
        結末は謎なんだ 誰にも先は読めない
        僕の人生の結末を記した本の中では
 
 

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