風日誌


関心領域

ベートーヴェン「弦楽四重奏曲」


2003.09.12

 

レオナルドは「万能の人」といわれる。
 
        五千葉も残されているレオナルドの手記、素描類には、およそ人間や
        自然にかかわる万事のことが描かれているように見える。人生論、絵
        画論から寓話のたぐい、解剖学から天文学、空気、水、火、地から植
        物にいたるまで記されているのである。沢山の機械の図は軍事、水利、
        都市計画にまで及んでいる。現代のような「専門」が尊重される時代
        には考えられぬ。人間が関心をもつべき万端が記されているといって
        よいかもしれない。
        (田中英道『レオナルド・ダ・ヴィンチ』P146)
 
「ご専門」が好きで、それを出ることを戒めてしまうような日本では、
こういうレオナルドのような人がでるのはむずかしそうである。
あらためて思うのは、シュタイナーは、
レオナルドどころではなく、あらゆることに関心を向けたということである。
 
シュタイナーほどの営為はきわめて困難だとしても、
さまざまなことに関心をもつということをしなければ、
人間はやはり全体性を獲得することはむずかしいのではないかと思う。
ある「専門」のことを探究していったとしても
その深みにいけばおのずと宇宙の全体性に行き着くはずなのだけれど。
 
少なくともシュタイナーに関心をもつということは、
シュタイナーの射程においていたそのさまざまな関心を
少しなりとも共有するということではないかとも思う。
 
関心領域がひろがってくると、
まずテレビとかを見る時間とかいうのは
必然的にごくくわずかになってこざるをえないし、
なにかを受動的に受けとるだけということはありえなくなってくる。
マスコミ的なゴシップなどにも興味がでるはずもない。
レジャーランドやらテーマパークやらというような場所で
ただでさえ貴重な時間を過ごそうとか思うはずもない。
そういう場所はある意味できわめて貧しい場所なのだから。
携帯をにらみながら一日中過ごすということもありえないだろう。
 
でも、世の中今のところそうはなりそうもないということは
人の関心領域はきわめて乏しいということを示しているのだろう。
世界はと限りない豊かさに向かって開かれているとしても、
その豊かさの前でみずからを閉ざしてしまうとしたならば、
世界はその閉ざしたもののなかでしか自らを開示することはないだろう。
 
人はみずからの内に太陽をもって
その光を開示していかないとしたならば
なにも見ることはできないのだろうし。
 
さて、今日のBGMは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲。
 
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は全部で17曲。
手元にEMIからでているアルバン・ベルク四重奏団による
演奏を集めた7枚セットがある。
その演奏はいまひとつ気に入らないものもあるのだけれど、
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲のすばらしさの前で、
ききはじめるとどの曲も魂がふるえるような感動を呼び起こす。
とくにピアノソナタもそうだが、後期のものに深みがある。
 
先日来、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲などの室内楽を
集中的にきいていたのだけれど、少しひさしぶりに
ベートーヴェンのものをきいてみると圧倒されてしまう。
いやー、ほんとうにすごい。
できればそのうち、別の演奏者のもので
ききなおしてみたいと思っている。
 
 

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