風日誌


レオナルド「岩窟の聖母」・二人のイエス

リストのオラトリオ「キリスト」


2003.09.11

 

メンデルスゾーンの全作品のリストをみていて
オラトリオには、「パウロ」と「エリア」だけではなく、
「キリスト」(作品97)というのがあるのに気づいた。
 
調べてみると、1946年に「エリア」を完成させた後、
すぐに「キリスト」の作曲にとりかかったのだけれど、
1947年の死によって未完となったのだそうである。
「キリスト降誕」、「キリスト受難」、「キリスト復活」の
三部構成となるはずが、その第二部の「キリスト受難」までに。
いずれ機会があればぜひきいてみたいものだ。
 
そういえば、「キリスト」というリスト作曲によるオラトリオの
3枚組のCDが手元にある。
これも三部構成で、長さはバッハのマタイ受難曲なみ。
ヘルムート・リリング指揮で1997年に録音されたもの。
ある意味でとても貴重なCDなのかもしれない。
きいているとそれなりにゆったりとして気持ちよくきけたりするので、
いちどはきいておいても損はしないだろうなと思う。
 
ところで、レオナルド。
田中英道『レオナルド・ダ・ヴィンチ』を読んでいて、
おもしろい箇所にでくわした。
『美術史』の翻訳の際、yuccaからもきいていた、
レオナルドの「岩窟の聖母」に描かれている
ヨハネとイエスとされている二人の赤ん坊が二人のイエスだということ。
レオナルドが自分でいっているわけではないようだが、
アントロの間ではよく知られていることのようである。
 
         その峻厳なる岩窟のまえに、レオナルドは聖母子とヨハネ、天使の
        清浄なる姿を描きいれた。左のヨハネはらくだの皮に十字の杖をもっ
        た少年ではなく、ほとんどキリストと同じ年格好の幼児としてあらわ
        れ、まるでキリストと同一人が自分に対して拝しているかのようだ。
        よく似た天使を描くボッティチェルリにしても、これほど似たキリス
        トとヨハネの姿を描いたことはない。
        (P134)
 
レオナルドがこれをヨハネとキリストとは名づけていないのだとしたら、
これをヨハネとキリストであると思い込んでしまうということあたりに
陥穽がありそうである。
疑ってもみない自分の前提のなかに
真の謎が隠されているというミステリー。
 
だいじなものというのは
えてして、目の前にあるのに見えても見えずとか、
自分で勝手に思い込みのヴェールを被せてしまっていることというのは
思いのほか多いんだろうなと思う。
マーヤというのも、世界がマーヤだというのではなくて、
世界を見る自分の目の上の梁なのだから、
とりあえず、自分の認識の疑えないように見えている前提のところを
見直してみるということがときには必要になる。
 

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