風日誌


変容について・レオナルド・ダ・ヴィンチ

元ちとせ「ノマド・ソウル」


2003.09.10

 

ぼくはいつも現在(いま)にいることができているだろうか。
いや、いつも現在を抜かしたまま、
過去と未来を後悔とのあいだで
不安の反復横飛びをしているような気がする。
 
        変容とは過去を脱いで
        常に現在であり続けること
        ・・・・
        現在であり続ける苦患 その嗟嘆
        それこそがわがポイエーシスだ
       (鈴木漠「十四行詩」より 詩集『変容』所収)
 
私は容易に過去の人になる。
変容するのが怖いのだ。
 
私はときに蛹になって
過去のじぶんを凍結させ
そうして、羽化を遂げていく必要がある。
 
「常に現在であり続けること」
「わがポイエーシス」へ。
 
さて、シュタイナーの「内的霊的衝動の写しとしての美術史」の第2講を
yuccaが訳して以来、レオナルド・ダ・ヴィンチが気になって仕方がない。
yuccaはレオナルド・ダ・ヴィンチやメディチ家について調べていて、
それについて日々いろいろ教えてくれているのもかなり影響している。
 
で、田中英道『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(講談社学術文庫)を
昨日から読み始めたのだけれど、やはり面白い。
田中英道には同じ講談社学術文庫から『ミケランジェロ』もでていて
シュタイナーの「美術史」第2講でもでていたのもあり
これもひととおり目を通してみたいと思っている。
 
日本の水墨画や南画、書道なども興味深く
ここ数ヶ月いろいろ調べてきたりもしているが、
西欧のこうした絵画もやはり面白い。
ようやく最近になってこれまでとはまた違った目が
ぼくのなかで育ってきているのかもしれず
これもやはり「変容」のひとつなのかもしれない、と
「わがポイエーシス」へと自らの羽化をイメージしたりしている。
 
蛹の私。
 
今日のBGMは、元ちとせのニューアルバム「ノマド・ソウル」。
 
元ちとせの声は立ち止まってはいない。
元ちとせは元ちとせだけれども常に羽化し続けている。
そしてその声の力がしっかりと伝わってくる。
魂のノマドであるということは
まさに変容を生きるということなのかもしれない。
 
 

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