風日誌


待つこと

古謝美佐子『天架ける橋』


2003.08.30

 

今日、明日と休日出勤でイベントの運営の仕事。
とにかく朝から夕方まで現場でハリツキなのだけれど
その間になにをするというのでもない時間があるので、
修行のためとも思い、(かなりシュールな体験になるけど(^^;)
シュタイナーの『神秘学概論』のなかの「高次の諸世界の認識」の章を読む。
 
『神秘学概論』ノートもその章にさしかかったまま
そのままになっているのでそろそろ読み直さねば、
と思っていたところでもあった。
やはりいつものことながら、
これまで自分は何を読んでいたのだろうかと思えるほど、
目が開かれる思いがした。
いつもそうなのだけれど、シュタイナーを読むと、
芸術的な方面とかいくつかを除けば、
ほかに読んでいたものがかなりうざったくなる。
いいことなのかそうでないのかわからないが、
やはりこの認識のビジョンは圧倒的なものがあり、
しかも目の前の、イベントの運営というどうでもよさそうな作業さえも、
宇宙的な諸関連のなかでとらえてみたくなったりする。
これは半分冗談ではあるけれど、
たとえばこういう箇所などを読んで深くうなずいたりしている。
 
        忍耐強い内的作業によって、あれこれの能力が開発できたなら、
        一定の疑問への答えがおのずと与えられる。霊的修行者が魂の
        この在り方を育てていけば、みずからをますます成熟させて、
        一定の疑問に対する答えをどうしても見つけ出したい、と願わ
        ないでもいられるようになり、答えが見出せるまで、待つこと        
        ができるようになる。(P379)
 
この「待つこと」というのは、
現代文明にとっても、もっとも大切なことなのだと、実感させられることが多い。
人は自分の能力を顧みないで、なんと「答え」ばかりほしがることか。
自分にその能力さえ育ってくればそのことが自ずと「答え」になるというのに。
わからないこと、自分にはいまはわかる能力がないのだということ、
そしてその能力が必要であれば時間をかけてそれを育てる必要はあるということ、
その当然のことがわからなくなっているのだ。
 
さて、今日のBGMは古謝美佐子の『天架ける橋』。
 
元ネーネーズの古謝美佐子が2001年にだしたアルバム。
この人の声は、待つことのできた人の声なんだろうなと思う。
だから、届いてくる。
声には届く声と届かない声があって、
こういうたしかな届き方をする声をきくと
もうそれだけで尊敬してしまう。
とともに、自分の声がいかに届かないかを実感させられもする。
ぼくはあと何十年かこの世で生きているあいだに
いちどでいいから、たしかに届く声で
語ったり、歌ったりできればいいものだと、切に思っている。
そのためにもじっくりと「待つ」ことのできる自分でありたい。
 
 

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