風日誌


夜明けについて・甲野善紀

川村結花+堂珍嘉邦「夜明けの歌」


2003.08.25

 

今日は、BGMから。
川村結花+堂珍嘉邦(ケミストリー)による「夜明けの歌」。
川村結花の「around the PIANO」に収められている。
 
「それでも僕らは 夜明けを待ってた」ではじまる。
で、そのなかでなぜか印象にのこっている歌詞
「いつでも努力が 足りないらしかった
全ては僕が いけないらしかった
それがどうやら 世の中らしかった
僕の座席は 今夜もなかった」
 
そんなに暗い印象を受けたというわけではなく
これをきくと、いったい今は「夜明け」なんだろうか
「日暮れ」なんだろうか、「夜中」なんだろうか、とか
ふと考えてしまうのだ。
いろんなとらえ方があって
「もうすぐ夜明けだ」という人もいれば
「ああこんなに日も暮れてしまって」という人もいる。
 
そういえば、ふと思い出したのだけれど、
浅川マキの「夜が明けたら」という歌があった。
なかなかいい歌。
浅川マキといえば、連想でカルメンマキ。
この人もなかなか古いが、
浅川マキもカルメンマキもまだまだ頑張っていて、
どちらもちゃんと公式サイトとかもあったりする。
 
カルメンマキといえば武術研究家の甲野善紀。
ふしぎなとりあわせのように見えるけれど、
甲野善紀はカルメンマキ(&OZ)の、
たしか「空へ」という歌に影響を受けていて
カルメンマキ、名越康文との共著「スプリット」があったりもする。
「空へ」という歌がどんな歌か気になってきいてみたことがあった。
ぼくにはいまひとつぴんとこなかったけれど。
「スプリット」とかはとてもおもしろい共著というか鼎談なので
そのうちそのなかから興味をひかれたところなどご紹介してみたい。
(と以前から思っていたりしたのだけれど、いまだにしてないですね(^^;))
 
ところで、最近ではぼくは朝6時頃起きる癖がついていて
(以前では考えられなかったほど早起きだ)
まさに夜明けを毎日迎えるべくカーテンを開ける。
ほとんど寝起きの鬱状態のなかで、
「それでも僕らは 夜明けを待ってた」とか
口ずさんでいたりするときもあったり。
 
ぼくたち人間は、まるで暗闇のなかから夜明けを迎えるように
おぎゃーと生まれてくるのだけれど、
おそらくそれは霊的にみればまったく逆のことなんだろう。
しかしシュタイナーのいうように
この世の人生は「決して単なる涙の谷」ではないのもたしかで、
毎朝、そんなことを考え、鬱と少しの勇気との間を
振り子のようにゆられながら夜明けを迎える。
 
ところで、今、時代は夜明けを待っているのだろうか、
日暮れようとしているのだろうか。
人生を「涙の谷」にしてしまうかそうでないかで
その違いがでてくるのかもしれない、とか
つまらないことを考えながら、もうすぐ明日になろうとしている。
 
 

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