風日誌


吉本隆明&大塚英志『だいたいで、いいじゃない』・江藤淳

メジューエワ「メンデルスゾーン作品集」


2003.08.24

 

吉本隆明と大塚英志の対談集
『だいたいで、いいじゃない』(文藝春秋/2000.7.30発行)を読む。
1997年11月から2000年1月までの間に行なわれた
4回分の対談が収められている。
第2回目の対談で江藤淳の話がでてきたのだけれど、
第3回目の対談はその江藤淳の自死の2ヶ月ほど後に行なわれている。
 
あとがきにあたる大塚英志の「糖尿病の思想」のなかで、
こんなことが述べられていた。
 
         同じ時期に尊敬する二人の批評家が病に倒れ、そして一方の江藤さんは
        自死なさって、けれども吉本さんはちゃんと生きておられる。その違いと
        いうものはやはり大切な問題だと思ったのだ。…
         江藤さんが亡くなる前、江藤さんのお身体の状況については殆ど伝わっ
        こなかったのとは対照的に、吉本さんの体調にういてはわりとリアルタイ
        ムでぼくなどの耳にも入ってきた。無論、ぼくと江藤さんには全く私的な
        関わりがなかったことなど色々と理由はあるのだろうけれど、一つには江
        藤さんは一人で黙して耐え、そして多分、吉本さんはあっちが痛いこっち
        が痛いと口にし、そして、そういう姿を人に晒すことを躊躇されなかった
        という違いがそこにはあるのではないか。
         もちろん、ぼくは江藤さんの孤高を決して否定できる立場にない。けれ
        ども何も「自らを処断」するなんてすっぱりと割り切らず、「ちょっと待
        てよ」とか「だいたいで、いいじゃない」と立ち止まって欲しかったと思
        う。
 
この二人の対比というのは興味深いものだった。
この対談でも吉本隆明はみずからの糖尿病についてさまざまに語る。
そういえば、最近「ほぼ日」でも吉本隆明のこうした語りを目にしたところだ。
これまで吉本隆明という人がいまひとつぴんとこなかったし、
もうひとつ深くないなあというが実感だったのだけれど、
この人のすごさというのは、「自らを処断」したりせず、
その都度変わっていけるしなやかさにもあって、
それがこのひとの魅力のひとつなのだということがわかった気がした。
だからそこに吉本ばななという存在もでてきたのかもしれない。
 
やっと最近になって調べてみるようになった江藤淳だが、
ぼくにはいまひとつ親近感が持てないでいたりする。
それはそれとしてその重要性を理解しておく必要性を感じていて、
そういうなかでも大塚英志や吉本隆明からみた江藤淳というのは
そのいとぐちを与えてくれる。
 
今日のBGMは、メジューエワの弾く「メンデルスゾーン作品集」。
(DENON COCO-80567 1997.5.21発売)
 
ぼくはわりとメンデルスゾーンが好きで、
いまひとつ深みに欠けるという評もあったりするのだけれど、
それでもその気品の高い音楽から受けるものは大きい。
バッハのマタイ受難曲を甦らせたのもメンデルスゾーンで
その影響から「パウロ」「エリア」などのオラトリオなども
作曲されることになった。
 
このメジューエワの演奏は、
ぼくがはじめて買ったメジューエワのCDでもあって印象に残っている。
その後、なぜか義弟とかの知人であることなどがわかったりもして
不思議な縁を感じている。
 
そういえば、このCDをきくまでは
あまりメンデルスゾーンの音楽を知らずにいて、
この後、「エリア」とかもきくことになる。
 
 

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