風日誌


メディアの変化

J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲


2003.08.14

 

先日、部屋を掃除しているときに
「月刊 コミックアゲイン」がでてきた。
昭和54年8月号。
懐かしい。
 
巻頭のマンガが坂口尚の「シリーズ/午後の風4 野の花」。
その他、村野守美、さべあのま、吾妻ひでお、
宮西計三、楢喜八、といった作家の作品。
この時期までは、マンガをとてもよく読んでいた。
萩尾望都など、少女マンガもとても面白かった。
 
最近はかぎられたものしか読まなくなっていて、
たとえば、いがらしみきおの「ぼのぼの」(最新刊23巻!)や
岡野玲子の「陰陽師」などの単行本化されたものを読むくらいで、
雑誌の連載などを読むことはまずなくなっている。
 
マンガを読み始めたのは小学校の一年の頃からで
活字を読み始めるのと平行して
マンガから影響を受けて育ってきたのが自分でもわかる。
もちろん同時にテレビからの影響も多大に受けている。
幸運だったかもしれないのは、
活字を別とすれば、そうしたメディアのある種の変遷とともに
年を重ねてくることができたことだろうか。
 
音楽をきく環境にしても、
小学校一年の頃は、家にはレコードプレーヤーがなく、
買ってもらえたのは中学校に入ってからのことだった。
それと平行してテープレコーダーが普及してくる。
そしてその後、レコードはCDになり、
カセットテープは、MDなどに移行している。
 
そういうメディアの変化や
それに乗っかるソフトの部分の変化を目の当たりにすることで
変化した結果を享受するだけではなく、
その変化のプロセスを体験する可能性も得ることができる。
とくにコンピューター関係などは
最初からコンピュータありきというのと
最初はまるで存在していなかったものが
いきなり現代のような在り方になってしまったのとでは
その体験そのものの意味がかなり異なってきているのは確かだろう。
 
そうしたことをいろいろ考えていくと、
世代の変化とメディアの変化の関係というのは
かなり密接に関係してくるのがよくわかる。
 
さて、今日のBGMは、J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲。
 
手元には、カザルス、フルニエ、ロストロポーヴィチ、
ピーター・ウィスペルウェイ、鈴木秀美の演奏のCDがあって
どれもそれぞれにいいのだけれど(そもそも音楽そのものが素晴らしい)、
心がほっとしてくる演奏は、フルニエの演奏である。
最初にきいたのがフルニエだからなのかもしれない。
 
面白いのだけれど、ぼくはクラシックはCDの感じが強い。
それに対してジャズはレコードである。
というのも、ぼくがクラシックをたくさんききはじめたのが
かなり最近のことだからなのだと思う。
そのように、音楽とそれをきくメディアの関係というのも
人それぞれにそのときの環境を色濃く反映してくることになる。
 
 

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