風日誌


シュタイナー『イエスからキリストへ』

イエズス会批判

J.S.バッハ「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」


2003.08.04

 

シュタイナーの連続講義『イエスからキリストへ』(アルテ)が訳出される。
訳者の西川隆範氏のあとがきに、シュタイナーがこの講義をふりかえり
次のように述べているのが紹介されていた。
 
	多くの人々が秘密のままにしておきたいと思っていた真理のいくつかを、
	私は秘教的な義務感から語った。そもそも人智学に対する敵対の動きが、
	この連続講義から始まったと言うことができる。
 
この連続講義の最初は「イエズス会と薔薇十字団」と題されていて
そこイエズス会を「非常に危険な錯誤である運動」としている。
そしてイエズス会は薔薇十字団を最もひどく攻撃した、と。
このイエズス会と薔薇十字団の関係というのは
やはり西欧の歴史のなかで意識的に見ておく必要がある。
 
さて、河合隼雄さんの『神話と日本人の心』(岩波書店)がでて
日本神話へのアプローチがなされていて興味深い。
この日本神話へのアプローチを参考にしながら、
シュタイナーのキリストや自我についての観点をガイドに
日本人のありようについて見ていくと
いろんなものが見えてきそうな気がしている。
 
また、このところ大塚英志の視点から
江藤淳について少しずつ見ていこうとしているところなのだが、
ちょうど江藤淳が小島信夫の『抱擁家族』についての批評がでてきた。
ここらへんもシンクロしてきているように思う。
江藤淳とその「妻」との関係も大塚英志はかなり穿ってみている。
 
さて、今日のBGMはJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」。
 
CDを整理していたところ、キース・ジャレットがハープシコードで弾いたのがでて
きた。
1991年とあるのでもう12年前になる。
そいえばキース・ジャレットのバッハとかショスタコとか、
この時期、クラシック演奏をしたキース・ジャレットをかなりきいた記憶がある。
その頃はまだバッハのカンタータとかもまだききはじめてなかったのだけれど、
なぜかカンタータとかをきくようになってから
どうもキース・ジャレットのクラシック演奏に
少し違和感のようなものを感じたりするようになった。
どうしてなのかよくわからないのだけれど、
「耳」というのはいろいろ変わるものだ。
それでもうかなりのあいだキースの演奏はきいてなかったのだけれど
久しぶりに、ほんとうに久しぶりにきいてみると、
そんなに素晴らしいとは思えないものの、違和感とかいうのではなくなっていた。
キースは演奏にあたって「バッハの音楽はぼくを必要としていない」と言ってたらし
い。
違和感もそこらへんと関係していたのかもしれないし、
ぼくの「耳」の関係で今度はそれを別の耳できいたのかもしれない。
 
どちらにせよ、バッハの音楽はどれもすばらしい。
きけばきくほどにすばらしい。
それがある意味で平均律クラヴィーア曲集に集約されているところもある。
いろんな演奏できいてみるのもまた楽しい。
(そういえばぼくがいちばん最初にきいたのはグールドの演奏だった。)
第1集よりも第2集のほうがおそらくきく機会が少ないだろうから
ここでは第2集ということで今日のBGMとした。

 

 

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