風日誌


人魚と嗅覚

スガシカオのSugarless


2003.08.01

 

昨日から読み始めた保坂和志の『カンバセイション・ピース』のなかに
 
	たぶん高校二年生の夏休みで、私は安部公房の文庫本の『第四間氷期』を
	この部屋に寝そべって読んでいた。
 
というのがあって、あ、ぼくもたしか高校の二年生か三年生か忘れたけど
そのころ、同じく文庫本の『第四間氷期』を読んだ。
たしか近未来の話で、人間が海に帰っていくというような話だ。
つまり、人魚になる。
岩井俊二の『ウォーレスの人魚』というのもあったけど。
 
そういえば、シュタイナー関連で、アルバート・ズスマンの「魂の扉・十二感覚」の
「嗅覚」のところに面白いことが書かれていた。
 
現在の人間は「二本足」で歩いているが、
古アトランティスの人間は、「四肢存在」で、
水のような状態の世界を四肢で泳いでいた。
その後、空気と大地が存在するようになって、
人間は大地を二本の足で歩くようになった。
そして、やがて今度は「三本足」の人間へと進化していく。
その三本足のうち二本が二弁の蓮華で、もう一本が「前進するための器官としての左手」。
「オイディプスの物語」のなかで語られている「三本足」の人間とは
そういう未来の人間のことをいっている、と。
なんだかいまひとつイメージしにくいのだけれど、けっこう面白いので
そこらへんについて書かれているところを少しご紹介しておくことにしたい。
 
	未来においては、すべてがより多く水を含み、より柔らかくなっていくことでしょう。
	私たち人間は、アトランティス文化期が反映している状態を体験するようになるので
	す。もちろん、人間は、かつての姿に立ち返るわけではありせん。そこには当然、メ
	タモルフォーゼが生じるはずだからです。私たちは再び泳ぐ存在となっていくでしょう
	が、とはいえかつてのような四肢を備えた存在になるのではなく、私たちの身体の左側
	だけからなる存在になるでしょう。頭部を含んだ左体側のすべてが残されることになる
	のです。(…)左手、つまり宇宙的な手は下方へ移動し、現在の足の位置を占めるでし
	ょう。皆さん、魚の尾びれを思い描かれたらよいかもしれません。私たち は、私たち
	の左手で舵をとるようになるでしょう。しかし、そのときには同時に、蓮華の二枚の花
	弁も成長しているはずです。それは、人間の今日的知性が克服された時点で、二つの新
	しい「手足」となり、私たちはそれをもって、まったく新しい世界へと自分自身を位置
	づけていくようになるでしょう。それは、善と悪とを見分けるための方向器官、内なる
	羅針盤となるでしょう。現在の私たちが、私たちの過去、私たちの経験に由来する一種
	の良心をもっているように、新しい良心が私たちの未来からやってくるでしょう。私た
	ちはその新しい良心と共に、新しい領域へと歩を進めていくようになるのです。そして
	これこそが、オイディプスの物語のなかでえ語られている未来の人間像なのです。
 
で、今日のBGMはそれにちなんで、というのでもないけれど、
スガシカオのSugarlessなどいかが。
 
そのアルバムの一曲目がマーメイドという曲。
さきのテーマとは違うけれど、人魚の肉を食うというのがでてくる。
人魚の肉を食うと永遠の生命を得られるということなのだろうか。
でもこの曲で記憶に残っているのは、大人のニオイについて。
若い頃大人のニオイに嫌悪感をいだいていたのに、
ほら、おまえからそんなニオイがにおってくるぞ!っていう感じ。
そういえば、おじさんのあのポマードのニオイというのはいったいなんなのだろう。
おばさんの鼻をつまみたくなるような香水のニオイというのもわけがわからないけれど。
そういえば、さきの「三本足」の人間の話も嗅覚の話だった。 

 

 

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