風のメモランダム

シングル・モルトと地上への着地/エレーヌ・グリモーと矛盾の統合/夢想国師の庭


2006.7.2.Sun.

■シングル・モルトと地上への着地

ずいぶん前のものだけれど、村上春樹著・村上陽子写真の
『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』。
スコットランドのアイラ島とアイルランドにでかけて、ウィスキーを楽しんだ という話。
そのアイラ島で主に紹介されている2つのシングル・モルトのうちのひとつ 「ラフロイグ」を発見。
このところどうも地上で生きる意志がどこかに行ってしまっている感もあり、
ほとんど食べようという気分にならないまま、中途半端な断食状態だったのだけれど、
このかなり個性的で土臭いシングル・モルトのおかげで、
やっとこさ、地上のほうに降りてきた感があって、ほっとしている(反面、や れやれ)。

 もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労
することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれ
を受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシン
プルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことば
がことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのも
のごとを、何かべつの素面のものに置き換えて語り、その限定性の中で生
きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らの
ことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らはーー少な
くとも僕はということだけれどーーいつもそのような瞬間を夢見て生きて
いるのだ。もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と。
(村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』新潮文庫)

地上に降りるのは、幸福な瞬間だろうか。
そうともいえないが、だからといって、地上から浮いているのも幸福ではない。
たとえ断片的にしか生きられないとしても、
その断片というピースを集めて、一幅の絵へと統合してみようという
無謀にも見える試みもまた一興ではないか。

■エレーヌ・グリモーと矛盾の統合

高橋 ひとみ(#11706)さんから教えていただいたエレーヌ・グリモーのことが
ずっと気にかかっていて、その音楽と著書にようやくふれることができた。
まあ、元気いっぱいの方で、ぼくとはまるで表出形態が違っているのだけれど、
音楽を聴きながら、そして著書を読みながら、どこか元気をもらっている自分 に気づいた。
上記のシングル・モルトのように。
それを表現している一節を。
テーマは、自分という謎・矛盾を受け入れ統合すること。

 自分の矛盾を受け入れたとき、私はこの内面の調和を少しずつ獲得
していった。ある種の人間はひとつの不可分な存在なのではなく、だ
が相反する切望のパズルであり、あるモデルが課す規範に合致したい
という口実でそのピースのひとつを否定することは、自殺行為、さら
には手足を切断することさえあるのを理解した。模範、いったいどん
な模範のことか? 模範的な少女、理想的な婿をめとり、二、三人の
子どもたちによって模範を再生産するお利口な娘、空気のように軽や
かな女流ピアニストのことではないか? ひとりひとりの人間が、自
らの矛盾の謎、自らの内面の闘争を抱えている。
 私たちはだれも、血と肉とでつくられた謎だ。
 いま、私はすばらしく満ち足りている。なぜならば自分のバランス
を見つけたのだから。私は子どものころ、自分のからだに傷をつけさ
せた対称の問題を解決した。私は狼つまりもっとも野性的な自然と、
もっとも洗練された音楽のあいだのーー天と地とのあいだのこの秘密
の、個人的な、内奥にある接点を見つけた。
(エレーヌ・グリモー『野生のしらべ』ランダムハウス講談社/P.310)

「私たちはだれも、血と肉とでつくられた謎だ。」とあるが、
これは「肉と魂と霊でつくられた謎だ」といったほうがいいだろう。

出発点は、自分を宇宙の謎だと問いかけることだろう。
矛盾に満ちた存在としての自分。
それがなければ、何もはじまらない。
しかし、統合するといっても、それはゴールがあるということではなく、
矛盾を受け入れながら、いわば螺旋状につくられ、変容しつづけるパズルへ
みずからのヴィジョンを少しずつ描いていくことになるだろう。

■夢想国師の庭

週刊「日本庭園をゆく」の28巻(4月刊行)は、「夢想国師の庭」。
ちょうど1年ほど前にも桝野俊明著
『夢想疎石 日本庭園を極めた禅僧』(NHKブックス)がでていた。
夢想疎石ファンとしては、見過ごすことができない。

夢想疎石にとって、庭園はある意味で曼陀羅そのものだったのかもしれない。
河合隼雄の箱庭治療というのがあるが、
そこでつくられる箱庭は、ある意味その人の庭園でもある。
しかし同じ庭園でも、悟りの庭園と苦悩の庭園とはその星座(constellation)が違う。

ぼくが庭をつくったとしたら、いったいどのような庭が可能だろうか。
ぼくの星座。
地上の星座に、天上の星座。