風のメモランダム

宮沢賢治と日本国憲法/吉田秀和/白川静


2006.6.13.Tue.

■中沢新一+太田光「宮沢賢治と日本国憲法」

「すばる7月号」に掲載されている対談。
ちょっと不思議な顔合わせ。
昨今の憲法改正論議の安易さに対する異議申し立て。
宮沢賢治が田中智学へ傾倒したような方向性での政治思想と
童話にも描かれているような動物や自然を愛した姿勢という
ある意味「自分の中に矛盾したものを、平気で受け入れていく」ようなところを
ちゃんと検討する必要があるのではないかという話。
ハイデッガーの矛盾しているように見える姿勢も
どこかで似ているところがあるかもしれない。
「愛情とは、いつも諸刃であって、
愛情が相手を傷つけることがあるのだ」ということ。
それが素晴らしいとか必要だと思うからといって、
ひとつの価値観を一元化しようとすると、
そのことそのものが諸刃となってしまうということでもある。
善とか正義の旗を振りかざすと、そこにむしろ魔物が跳梁するように。

■吉田秀和「永遠の故郷」

「すばる7月号」の巻頭に、「新連載」のエッセイとして掲載されている。
副題に「<月の光>ーー堀江敏幸にーー」とある。
吉田秀和さんは、まだまだ健在のようである。

■白川静「文字政策は漱石の時代を目標とせよ」

まだまだ健在なのは、この人もそうだ。
「文學界7月号」の特集「国語再建」に収められている。

国語の重要性を声を大にしていうのも、
さきの善とか正義の旗を振りかざすようにならないように
気をつけないと、そこにも魔物がでてくることに気をつけなければと
この特集を読みながら思う。

もちろん、日本語をちゃんと使えるようになるというのは
教育のなかではある意味もっとも重要なことのいひとつには違いない。
実際、「読み書き算盤」というのがあるが、
たしかに、学校で必要なのは言葉の読み書きと最低限の計算能力くらいで、
それさえなんとか身につけることができたら、
ある意味学校で修得することは自分ひとりでもなんとかなるわけである。
思考能力の基礎ということでもある。
とくに今の時代は、情報には事欠かないので、
情報を選択し修得するための基礎にあるのは、
読み書きができるということなので、それだけは必要だということ。
そういえば、ぼくも学校で教わったというか、
学校がなかったらまずかったなと思えるのは、それくらいだなあという気がする。
あとは勝手になんとか。

■ダカーポ特集「あなたは霊を信じますか?あなたは死後の世界を信じますか?」

ダカーポ585/2006.6.21.号の特集。
もちろん昨今ブームの江原啓之さんのページもあるが、
西川流範さんのシュタイナーのページもあって、
今さらながら、シュタイナーがいろんな意味で知名度をあげているのがわかる。
もちろんこの特集はあえて読むようなものでもないけれど、
まあ、話題のタネとしてでも。

ダカーポのもうひとつの特集は「ワールドカップ」。
なんだか昨夜なんとなく試合をみてみたが、
なんで騒ぐのかよくわからないところがある。
まあ、見れば見てしまうものではあって、
ある種のエンターテインメント性はあるとしても、
世の中、よほど暇なんだなあというのが実感。
別の盛り上がり方はできないものか。
もちろん、変な盛り上がり方をするよりはいいのだろうけれど。