風のメモランダム

死生学ノート/いしいしんじ『雪屋のロッスさん』


2006.2.5.Sun.

2006.2.6.Mon.■死生学ノート/いしいしんじ『雪屋のロッスさん』

■死生学ノート

先日、パソコンの故障で書きかけのまま放置していた
「死生学ノート」の続きを、例によって断片ながら、
項目として準備していたものを補って書くことができた。

ちょっと時間が空いてしまったので、
なかばはもういいやと思って
そのままにしてしまおうとしていたのだけれど、
『はじまりの死生学』を読み直しながら、
その重要性をあらためて確認することもできたので、
ちょっともったいなく感じたのもあって、書きついでみることにした。
とはいえ、あいかわらず、ぼくの手前味噌的なものでしかなくて、
ある意味、なんじゃこりゃ、の世界なんだけれど。

■いしいしんじ『雪屋のロッスさん』

いまのぼくのお気に入りの物語作家といえば、
このいしいしんじと、もうひとりは吉田篤弘である。
新刊がでたら迷わず買ってしまう。
それほど、その語りが、世界が魅力的なのだ。

そこには静かな静かな時間が流れているだけなのだけれど、
そこで紡がれる言葉のやさしさは、
どんな過激にみえるような言葉よりも、
まるで北風と太陽の話のように、
ぼくのなかの閉ざされた感情の機微を解きほぐしてくれる。

この『雪屋のロッスさん』には、
全部で30人の「〜する人」の短い話が納められている。
いちばん短いものは、見開き2頁で軽く収まってしまう。
でも、そのなかにでてくる「〜する人」は
どの人もどの人もぼくの好きな人になってしまう。
こんな、とても不思議だけれど魅力的な人の話を語れるのは
いしいしんじ意外にはいまのところぼくのなかにはいない。

どの話も大切だけれど、そのなかのひとつ
「似顔絵描きのローばあさん」の話から。

ローばあさんはいいます。
「自分のほんとうの顔をみるって機会は、案外少ないもんですよ。
鏡に映したり、写真機に向けたりするのは、いってみりゃ、四角い
箱にはいっているような、よそいきの顔だからね。ほんとうの顔っ
ていうのは、じつは一時もとまってはいなくて、目鼻も口も、いつ
もくるくるとめまぐるしく動いている」
その動きをみているうち浮かんでくる、お客の「いちばんすてきな
顔」、彼女はそれを絵に描きます。もちろん、笑顔にかぎりません。
激しい怒りや嘆きを、全身であらわしてることもある。お客はその
絵を通し、自分のなかのほんとうを、あらためて目のあたりにする
のです。つまるところ、ローばあさんの描くのはお客の外見ではな
く、ふだんは外見に覆いかくされた、ゆらめく炎のようなものだと
いえるかもしれません。
「あたしには、そういう絵しか描けないんですよ」
ばあさんは静かに笑って、
「これまでほんとうにいろんな顔を、あたしはいやんなるほどみて
きましたから」