■あらしのよるに 映画化もされて話題の『あらしのよるに』。 ヤギとオオカミの友情の物語が、 第1話から第3話が講談社文庫に収録された。 友情の話というのは、かけがえのないものだ。 オオカミはヤギを食べる。 けれど、そこに友情があるとき それはそうした関係を超える。 この地上のさまざまは ある意味で、友情の可能性の実験場だといえるのかもしれない。 友情を別名「愛」と呼ぶこともできるだろう…「友愛」。 それがあるとき、地上は楽園となり、 それを見いだせないとき、地上は地獄と化す。 男女のあいだでも、そこに友情があるとき、愛は完成へ向かうが 友情が見つからないとき、それはただの縛りとなる。 あらしのよるに、ヤギとオオカミの友情が生まれる。 おもしろいのは、それが「あらしのよる」だということだ。 戦争のような、夜の闇のような、 そんな状況こそが、友情の可能性を生むことができる。 もちろん、同じ状況が地獄を生むことのほうが多いのだろうが。 ■健康診断 年に一回会社で義務づけられている健康診断を受ける。 例年はもう少しはやく受けているが 仕事の関係で結局今日まで延びてしまう。 健康診断のほとんどは、単なる形式で、 受ける前から「不健康」かどうかはわかっているわけで、 指摘されることがわかっている人だけが 自己申告で受ければいいのにといつも思ってしまう。 僕の場合は、むしろ健康診断で、冬に寒い思いをしたり、 時間のやりくりで焦ったり、 バリウムを飲んで苦しんだりするだけなので、 むしろ健康診断が不調を呼び込んでしまうところがある。 ばかばかしいにもほどがある、とかいう気になる。 あの病院という無味乾燥な環境がまた良くない。 ああいう場所にいるだけで、どこか病気を背負い込んでしまう。 なかには、こういう健康診断で 病気のきっかけを早期発見できるケースもあるのだろうが、 ちょっとやり方をかえることはできないものかと思ってしまう。 少なくともあのベルトコンベアに人を乗せて 機械的にチェックしていくようなやりかたは 「健康」のためのものだとは思いにくい。 それに、どうも昨今の「健康」指向というのもかなりわざとらしい。 健康オタクのようなのも、なんだか気味悪いところもある。 そもそも健康は目的ではないはずなのに、 それが目的になってしまったりもする。 お金も手段が目的化してしまう最右翼だけれど、 なんだかそういう錯誤ばかりが横行してしまう。 |
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