■たとえ世界が不条理だったとしても 「たとえ世界が不条理だったとしても」というのは、 吉田秀和の「新・音楽展望2000-2004」(朝日新聞社/2005.11.30.発行)のタイトル。 朝日新聞への連載がまとめられたものである。 新聞連載時にも目を通してみることが多いが、 すでに90歳を超えているとは思えない、 いやそれだけ歳を経ているからこそ書ける言葉がそこにはある。 そのタイトルに関連した章は、2000年5月25日付の「不条理と秩序」。 著者は、いわば四苦八苦の生において、偶然と必然、不条理と条理の空しさ という考えに取り憑かれ、心閉ざされて時を過ごす。 アインシュタインは「私にとって死とはモーツアルトがきけなくなることだ」 と言ったというが、そのモーツアルトも明るすぎ悲しすぎてとてもきかれないという。 そんなとき、バッハが来た、という。 マタイ受難曲やカンタータといったものではなく、 平均律クラヴィーア曲集の第二巻。 これをきくうちに 「私はこの不条理の世界にも何かの秩序がありうるのではないか という気がしてきた」という。 この音楽の意義は…これが、「秩序の存在」を感じさすところにある。 これをきいていると、たとえ世界は混沌の渦巻く無意味で虚ろな穴だ としても、その中で何かが起こり、何かが起こらなかったのは、それ なりの条理があったのではないかと考えさせられてくる。 … 人間はお互いに殺し合ったり傷つけ合ったりするだけでなく、こうい う芸術をつくりだす創造的想像力を働かせることもできたのだった。 ぼくにも、バッハで救われた思い出がある。 高校生の頃、日々閉塞し続けていた。 バッハのことをとくに詳しく知りもしなければ、 それがどういう曲なのかさえ知らずにいたのだが、 朝などにFMから流れてくるバッハ作曲とされる音楽をきいていると ぼくのなかのカオスにある秩序のようなものが生まれてくるようになったのだ。 これは不思議な感覚だった。 それで、大学に入って、最初に自己紹介の趣味の欄を見たときに、 ぼくはただそこに「バッハ」と書くことしか考えられなかった。 自分でもよくわからないままにぼくの「今」はただ「バッハ」だったのだ。 |
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