風のメモランダム

岡野玲子『陰陽師』全13巻完結


2005.10.2.Sun.

 

2005.10.2.Sun.■岡野玲子『陰陽師』全13巻完結

■岡野玲子『陰陽師』全13巻完結

安倍晴明没後1001年に、『陰陽師』完結す!とのこと。
第12巻が少し前に出たと思ったらいきなりのうれしい13巻。
眩暈のするようなイマジネーションあふれる最終刊になっている。
とくに12巻、13巻と決して読みやすいとはいえない内容だけれど、
これが漫画で描かれそれが話題作として刊行されているということに注目したい。

ストーリーとは直接関係がないかもしれないが、
読みながらおもったのは、
死を賭することは思ったほどむずかしいことではなく、
難しいのはそのことでどれだけ自由になれるかだろう、ということ。
自由であるためには、最後の最後のところで溺れてはならない。
大地に飲み込まれてしまう死であるとしても、
そこから光となって飛翔する自分になるための
変容体(の可能性)として私たちは生まれてきているのだ。

■en-taxi11

en-taxiの11月号がでていた。
「大特集」は「七〇年代東映/蹂躙の光学」。
いわばかつてのヤクザ映画と暴力がテーマ。
福田和也の「現代暴力論ーーもしくは、ヤタケタな東映映画作品について」。
ぼくにとってはほとんど疎遠で関心の乏しいテーマではあるが、
それはそれとしてこういうのにも目を通しておかないと
ヤクザ映画好きのマザコン性といったものは見えてきにくいかもしれない。
それはおそらくナショナリズムのマザコン性にもつながるものだろう。

■アナーキストとしての福田和也

面白い(が決してお勧めはしない)
中川八洋『福田和也と《魔の思想》』(清流出版)というのを読む。
福田和也は右翼ではなくて極左だと断罪する内容である。
福田和也はむしろポストモダン系を突き抜けたアナーキストだというのである。

本書そのものや著書の姿勢等は決して好きにはなれない類のものだが、
上記の点には注目しておいたほうが腑に落ちることが多い。

ナショナリズムの根拠は虚構の物語である。
というのは、ナショナリストであれ、
少しでもものを考える力さえあれば認めざるをえないところなのだが、
その虚構の物語そのものをつきつめて遊ぼうと思うならば、
結局のところアナーキズムそのものになる。
それを著者は「悪魔の病」だというが、
それこそが現代日本の可能性のひとつだという気もしている。

ぼくが福田和也にひかれるのも
ああ、その隠し持ったアナーキズムなんだな。
というのが腑に落ちただけでも
本書を目にした意味があったかもしれない。

■中沢新一と縄文

ほぼ日に「はじめての中沢新一」という鼎談が連載されている。
話題の『アースダイバー』をネタにして、
タモリと糸井重里、中沢新一が「縄文」的な
人類の古い古層となっている記憶などについて面白く語っている。

たしかに通常の歴史に比べて縄文的なものをはじめとした
旧石器時代、新石器時代の「記憶」や神話に注目し回帰してみるのも
それはそれで必要なところもあって
そうした深い叡智を取り戻そうとする衝動も理解はできるのだけれど、
少し気になるのはその過去向きの視線である。

現代の人間はたしかに過去の叡智を失って
馬鹿なことを繰り広げているわけだけれど、
重要なのは、なぜ過去の深い叡智を捨てて
こうして馬鹿になっているかということなのではないか。
過去に行けば行くほどに深くなっていくように見える叡智。
であれば、なぜ、人類は破壊的なまでにその叡智を手放してきたのか。
キリスト教にしても、ほとんど野蛮なまでの愚かさを露呈している。
しかし問題はなぜそれが必要だったのかということなのだ。

叡智を手放してまでも獲得しようとしているものはいったい何か。
その視点を持てないままに、縄文を求めていき、
「大地」に回帰しいていこうとするのは、どうしても過去向きになる。

ぼくは、中沢新一ファンではあるが、
いつもそのことが気になり続けている。

 

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