2005.9.14.Wed.■窪塚洋介「ネイティブアメリカン紀行」
■やはり今年は「変化」の年なのだろう
選挙のことはいうまでもないが
今年はとくにいろんなものが極端な出方をする傾向にあるようだ。
考えることのできない人は極端な白黒を好む。
そしてそういう人たちのマスによって、直接的な影響は別として
それが引いてはなんらかの大きな変化のきっかけいになっていくのだろう。
ひょっとしたらそれがシヴァ的な破壊であるのかもしれないが、
破壊がなければ創造ができないということなのだろう。
しかし創造のための破壊というのは悲しいものである。
そして役割としての「破壊者」は
ほとんどプログラムされたロボットのように行動する。
なにかのスイッチが押されるとある方向に猛進するように。
おそらく今年は、そうした「スイッチ」が
さまざまなところでONされることの多い年なのかもしれない。
■窪塚洋介「ネイティブアメリカン紀行」
窪塚洋介「ネイティブアメリカン紀行」(TBS・TV)を観る。
自宅マンションの9階から転落したのは
この番組のロケに出発する日のこと。
その前にも訪れていてその後の事件だったのは、
ひょっとしたら窪塚洋介は自分が
イーグルかなにかになった気分になっていたのかもしれない。
憑依ともいえるかもしれないが。
「伝統」を守っていこうとする一家のもとにホームスステイする窪塚の顔が
次第にいい顔になっていくのが感動的だったが、
現代におけるネイティブアメリカンの存在の困難さとともに、
そこにある古代的な宇宙観や生き方が
現代のなかで生かされる方向はいったいどういうあり方なのだろうと考えさせられる。
要は私たちの生きる基礎となる宇宙観の問題なのだけれど、
やはり現代における精神科学的宇宙観の必要性をあらためて思った。
窪塚洋介については比較的最近まであまり気にしてなかったのだが、
少しまでにエハン・デラヴィの『太陽の暗号』を読み、
その関係で『ネオ・スピリチュアル・アセンション』という
中山康直、白峰由鵬、澤野大樹といった人との対談を読んだ際、
その中山康直と窪塚洋介による共著の『地球維新』というのがあると知り、
窪塚洋介の不思議な側面についてあれこれ想像したりしてみたことがある。
なぜそんな人がマンションのベランダから飛び降りるのだろうか、と。
その疑問が、今度のテレビ番組で少しだけ腑に落ちた気がした。
■エハン・デラヴィの『太陽の暗号』
ところで、エハン・デラヴィの『太陽の暗号』というのは、
太陽の物質的な側面だけではなく、
その「ロゴス」としての側面をクローズアップさせたもので、
書店でもわりと平積みになっているように
少しは話題になっているようだ。
神秘学的にはあたりまえのことだけれど、
通常の科学では、やはり太陽霊とかいうのは
トンデモ的なものなんだろうなとあらためて思う。
ところでそのエハン・デラヴィのHPをのぞいてみると
けっこう楽しめたりもするので、一応アドレスを。
http://www.maranatha.co.jp/ |