「武満徹Visions in Time」レゾナンス9

夢の縁(へり)へ

2006.5.12

 人間は、夢について問いつづけることを、いつか止めるだろう
か?いや、夢が別の言語として体系づけられでもしないかぎり、
それはあるまい。しかし、そのようなことがありえたとしても、
人間は夢のなかでまた夢みるだろう。
 夢、この非現実の領域は、隠れた水脈のように錯綜し、宇宙と
人間を貫く不可知の層を走っている。それは歴史と弁証法を超え
た永遠の瞬間であり、しかし現実はつねにその瞬間のうえに脚っ
ているのだ。夢に、不思議ということばを冠す、このなんともい
えぬ奇妙さ。それでは、どんなことばで夢を形容すればいいだろ
うか?
 私は幾つかのきまった夢をしかみない。たぶん、その限られた
いくつかの夢だけが記憶の縁(へり)から溢(こぼ)れずに、私
の内部に超現実的な光景を凍らせているのだろう。では、夢を反
芻するということは、人間にとって、いったいどのような意味を
もつことであるのか?
(ーー「夢」『樹の鏡、草原の鏡』)

 

夢と覚醒のあわいに立って
私はイメージする

イメージは現実だろうか非現実なのだろうか
どちらでもなくどちらでもあるだろう

私はイメージする
するとそれが夢になって
覚醒の縁にぶらさがって笑っている
ときにその笑いは私自身に向けられる
笑っているのは誰

いつも見る夢は
私の結晶したイメージなのだろうか
容易に崩壊することのない硬質の景色
現実ではないが非現実とも言い難い結晶の王国

繰り返し同じ景色を物語を辿る私の前を
ときにイメージの断片が不意に横切る
それは私のなかの結晶化されえない現実/非現実だろうか

現実のなかから紛れ込んだ鳥
非現実から現実へと飛翔しようとする鳥
その不思議な泣き声
夢と覚醒のあわいで流動しながら
問い問われつづけるイメージの隠れた水脈