西洋人はどうしても、ことに近代になってからは、時間を直線
的なものとして捉え、持続というものを、変化しないそのままの
状態を保存するものというように認識しているようですが、私は、
時間は円環的なものとして感じているし、また、持続というもの
は常に変化してやまない状態、というように考え感じています。
それは、私の音楽の形(フォーム)にとって重要な前提になって
います。先ほど述べた、庭ということですが、時には、ある特定
の庭園の図面を、音楽的にトレースするというようなことをしま
す。また時には、無作為にスケッチした、想像的な庭の風景を置
き換えるというような操作をしたりもします。ですから、私の音
楽の持続(の時間)は、(それらの)庭を好きなように歩いてみ
た時間といっても良いと思います。
(ーー「自然」『夢と数ーー音楽の語法』)
時間を直線のようにとらえるならば
過去はいつまでもはるか彼方へと延び
未来はその反対の方向へと無限に延びていることになる
無限というのはとてもむずかしくて
単に無限の過去、無限の未来というだけのものでもないらしい
1と2という数字のあいだにさえ無限の小数点が並んでいる
だから現在という時空場も無限なのではないか
だとしたら100年にも満たない時を生きる
私というこのちっぽけな存在だって無限のはずだ
私という図面を広げてみよう
常に造営が続けられている持続する時空場としての私
その私という場所を散策してみる
立つ場所により移動する動きによって
変化していく風景の音楽絵巻
私の投げる視線、広げる聴覚、そして呼吸する気配は
いくつもいくつも円環をつくりながら交差し交響しあいながら
私というフォームを形成し続ける |