「武満徹Visions in Time」レゾナンス8

時の円環

2006.5.12

 西洋人はどうしても、ことに近代になってからは、時間を直線
的なものとして捉え、持続というものを、変化しないそのままの
状態を保存するものというように認識しているようですが、私は、
時間は円環的なものとして感じているし、また、持続というもの
は常に変化してやまない状態、というように考え感じています。
それは、私の音楽の形(フォーム)にとって重要な前提になって
います。先ほど述べた、庭ということですが、時には、ある特定
の庭園の図面を、音楽的にトレースするというようなことをしま
す。また時には、無作為にスケッチした、想像的な庭の風景を置
き換えるというような操作をしたりもします。ですから、私の音
楽の持続(の時間)は、(それらの)庭を好きなように歩いてみ
た時間といっても良いと思います。
(ーー「自然」『夢と数ーー音楽の語法』)

 

時間を直線のようにとらえるならば
過去はいつまでもはるか彼方へと延び
未来はその反対の方向へと無限に延びていることになる

無限というのはとてもむずかしくて
単に無限の過去、無限の未来というだけのものでもないらしい
1と2という数字のあいだにさえ無限の小数点が並んでいる
だから現在という時空場も無限なのではないか
だとしたら100年にも満たない時を生きる
私というこのちっぽけな存在だって無限のはずだ

私という図面を広げてみよう
常に造営が続けられている持続する時空場としての私
その私という場所を散策してみる
立つ場所により移動する動きによって
変化していく風景の音楽絵巻
私の投げる視線、広げる聴覚、そして呼吸する気配は
いくつもいくつも円環をつくりながら交差し交響しあいながら
私というフォームを形成し続ける