「武満徹Visions in Time」レゾナンス4

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2006.5.2

 五本の指に名附けることを表現とは言わないだろう。つかみ、
ゆびさすことがそうだ。そして、指は手であり、手は腕であり、
腕はおのれとよぶものだ。私はいつでも手でしかないが、まちが
いなく手は私なのである。私を生かすものがあるが、私を生かす
ものは、つまり私かもしれず、私は手にすぎないのだから、それ
が樹ではないと言うことはできない。
 表現することは、けっして、自分と他を区別することではない。
 世界はいつでも自分の傍にありながら、気附く時には遠くにあ
る。だから世界を喚ぶには、自分に呼びかける他にはない。感覚
のあざむきがちな働きかけを避けて自分の坑道を降りることだ。
その道だけが世界の豊かさに通じるものなのだから。
(ーー「自然と音楽ーー作曲家の日記」『音、沈黙と測りあえるほどに』)

 

私はゆびさす
そして名づける
あらゆるものを
そしてその名をよぶ
空よ

すると
空は
私ではないものになって
空になる

世界をよぶ
すると
世界は
私ではないものになって
そこに世界があらわれてくる

あなたの名をよぶ
すると
あなたは
私ではなくなり
あなたとして
私をみる

そして
私は
私とよぶことで
私になる

私になった私は
私を降りていく
降りていき
よびかける
名づけるのではなく
ひびきあうために

すると
よびかけられたものたちが
私になる
空は空のままで
世界は世界のままで
そして
あなたはあなたとして