「武満徹Visions in Time」レゾナンス10

音楽の可能性

2006.5.12

 どう考えても、芸術音楽は、商業主義にかなりの後れをとった
ようだ。
 そうしたなかで、ある者は、エスニックなものへ目を向け、ま
た、ある者は、伝統の再発掘に身を委ねる。だが何れも、ごまめ
の歯ぎしりほどの微かな音をたてているに過ぎない。個性を主張
し、差異を際立たせようとすればするほど、その作業は気分(ム
ード)的なものになり、社会から遊離して行く。
 では、今日、音楽の可能性は潰えてしまったのだろうか?
(ーー「可能性に目を向ける」『遠い呼び声の彼方に』)

 

音楽の可能性とは?
芸術音楽とは?
商業音楽とは?
社会から遊離するとは?

たしかに伝わってくる音楽があり
刹那的に消費され容易に捨てることのできる音楽がある
ところで、消費される音楽とは?
逆に消費されない音楽とは?

私の耳は
ときに音に飢え
ときに音を嫌悪しながら
音楽とはいったい何だろうと考える
答えはいらないが
いい音楽はほしいと思う
そして、ときにわれをわすれるほどに感動し
ときにゴミ箱に放り込んで忘れたいとさえ嫌悪する

さて、音楽の可能性とは?
あるいは、私が音楽に期待するものは?

閉じることのできない私の耳は
さまざまな形にメタモルフォーゼしながら
みずからの聴くという可能性を
世界に向けてささやかに広げてみようとする
そしてときにあなたの声のほかには
何も聞こえなくなったりもする