「武満徹Visions in Time」レゾナンス0

2006.4.25

没後10年にあたり、「武満徹 ーVisions in Time」展という
「音楽ー美術共同プロジェクト」が、4/9〜6/18、
東京オペラシティアートギャラリーで開催され、
期間中には、「オーケストラコンサート『武満徹の宇宙』や
「武満徹トリビュート・コンサート」なども開催される予定である。

出張でもあれば、ギャラリーに足を運んでみたいと思っているが、
とりあえず、この「公式カタログ」が刊行されているので、
それをいつも机上に置き、ときに武満徹の音楽を聴きながら、
眺め、また読んでいるが、このカタログを眺め読んでいると
そのことそのものが武満徹の音楽を聴いているような気持ちになってくるとこ ろがある。

カタログの最初に、「Visions」というタイトルで、
「夢と数ーー音楽の語法」から次の文章がひかれている。

人間は、眼と耳がほぼ同じ位置にあります。これは決して偶然ではなく、
もし神というものがあるとすれば、神がそのように造ったんです。眼と耳。
フランシス・ポンジュの言葉に、「眼と耳のこの狭い隔たりのなかに世界
のすべてがある。」という言葉がありますが、音を聴くときーーたぶん私
は視覚的な人間だからでしょうかーー視覚がいつも伴ってきます。そして
また、眼で見た場合、それが聴感に作用する。しかもそれは別々のことで
はなく、常に互いに相乗してイマジネーションを活力あるものにしている
と思うのです。

眼だけの人というのがいて、また耳だけの人というのがいる。
そして眼と耳が相乗していることのほうがむしろ少なく思える。
ぼくにはそれがむしろとっても不思議に思える。
武満徹への親近感は、眼と耳のそうした相乗なのかもしれないと
この引用、そしてこのカタログを見ながらあらためて感じている。
もちろん、眼と耳だけではなく、そのほかさまざまな感覚は相乗しあいながら、
ある宇宙が織りなされている感覚、それがぼくの胸の奥のほうのなにかをふる わせたりもする。

以前、武満徹の文章に共鳴して稚拙な文をノート風に書いてみたことがあるが、
久しぶりにこのカタログを見ながら、イメージを広げてみたいと思っている。