風のDiary
2012.8.17.Fri.
洞窟芸術

以前刊行されていた「芸術人類学叢書」の中沢新一『狩猟と編み籠』と
A., ダニエルー『シヴァとディオニュソス 自然とエロスの宗教』のシリーズだろうが、
中沢新一『野生の科学』(講談社)と同時に、
湊千尋訳で、 デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ『洞窟のなかの心』が新刊で出ていた。

洞窟芸術を「芸術」誕生の鍵として、
「考古学に加えて、人類学、心理学、宗教学、脳生理学、意識研究の最前線の知見を
創造的に再解釈し大胆な仮説を提示」しているというもの。

そういえばと、以前から気になっていて未読の
湊千尋『洞窟へ/心とイメージのアルケオロジー』(せりか書房)に目を通していたところで、
ヴェルナー・ヘルツォーク監督『世界最古の洞窟壁画3D 忘れられた夢の記憶』が
公開されているところであることを知る。

この洞窟壁画は、1994年南仏で発見されたショーヴェ洞窟。
3万2千年前の世界最古のもの。
湊千尋『洞窟へ』にもその洞窟壁画がカラー写真入りで紹介されている。
ちょうど幸運なことに、地元の映画館シネマクレールでもやっていたのと、
やはり、ヘルツォーク監督のドキュメンタリーということもあって観てみることに。

内容は、以下の公式サイトを。

http://www.hekiga3d.com/

なぜ、あのヘルツォーク監督が洞窟壁画のドキュメンタリーなど撮ったのだろう。
そんな疑問に対して、上記公式サイトにこんなインタビューが答えてくれているので、
いつくかピックアップしてみる。

  Q: 世界中にある洞窟壁画の中で、何故ショーヴェ洞窟に魅せられたのですか?

   ・・・その壁画は、私が想像する原始的なものでなく、作品として完成度が高く、
   古代人の芸術に対する魂の開花に驚愕させられた。

  Q: 劇中で、ショーヴェ洞窟壁画は映画の起源と言っていますね?

  劇中の中で私が馬の群れの壁画の前に落ちていた木炭についてナレーションを入れて
  いる箇所があります。火が燈された痕のある木炭が壁画の前に並んでいたんだ。古代
  人はその火で壁画を照らし揺らめく動物達を見ていたと思われる。それこそが、映画
   の起源だと思うんだ。

  Q: 映画の中で貴方は現代の人と古代に生きる人々とではイメージの解釈の仕方が違う
  と言っています。我々は当時の人々と比べ、イマジネーションを失ってしまったものは
  あるのでしょうか?

  失ったとは言えない。単に、我々が“変わったのだと思う”。基本的に人類は“変わって”い
  くものだが、現代の人類にしか持ちえない“ソウル”(内面世界)もあると思っている。
  ショーヴェ洞窟に生きた人々に花開いた芸術性のように、まだまだ私たちの中で開花する
  内面世界はあると思っている。

湊千尋『洞窟へ』では、
洞窟壁画で描かれているのは、単に旧石器時代に生きていた動物であるというだけではなく、
「人間の心の成り立ちをも示している」という。

  アクセスが極度に困難な海底洞窟のように、一万年前から三五〇〇〇年前の世界とわたし
  たちの世界をつなぐ道は、深い闇に包まれている。彼らの手の痕跡は目の前にあるのだが、
  それらは招いているようにも拒んでいるようにも見える。わたしたちは、どのようにすれ
  ば、その先にある心にふれることができるのだろうか。
  (・・・)
  山の中腹から発見された真に芸術的な図像群は、芸術がその最初期において高度に完成さ
  れていたこと、さらにその芸術が大きく美しい動物たちによってもたらされたことを、静
  かに激しく語りかけてくる。わたしたちはそこで、洞窟とは何なのかを、身体の奥底で感
  じることになるだろう。第7章では、動物と人間がどのようにして、その素晴らしい形象
  を獲得することができたのかを、別の角度から考察する。もういちど神経的な表象の姿に
  立ち戻り、ヨーロッパだけでなく南アフリカの岩絵芸術にも足を伸ばしながら、あらゆる
  洞窟芸術において、もっとも神秘的な存在である「魔術師」の存在に触れる。芸術だけで
  はなく、わたしたちの最良の部分ーーわたしたちの創造性のもっとも重要な部分を、何に
  追っているのかを確かめようと思う。
  (P.6-7)

おそらくかつての人間の心は、
この個別化された小さな肉体のなかに閉じ込められてはいなかったのだろう。
かつて宇宙大に広がっていた「心」が、しかし個としての心ではなかった「心」が、
この大地のなかに降りてきて、やがて「洞窟」のなかでの魔術のような形象を生むようになる。

今の私たちは、私という殻のなかに閉じ込められているように思い、
そのとらわれの心のために、創造性を失ってしまいかねない状態になっている。
ハムレットさえ、胡桃の殻のなかに閉じ込められても、
自分は無限の天地の主だと思っている・・・とかいうにもかかわわらず、
現代では、脳が心だという思い込みさえまことしやかに、
それがまるで事実であるかのように語られている。
それはパソコンこそが自分だとキーボードの前で思い込んでいる人間のようだ。

私たちは、決して閉じ込められている存在ではないことを思い出さなければならない。
そうでなければ、創造性を失い、高次の自然を生きることができなくなってしまう。

洞窟壁画を観ながら、「洞窟に生きた人々に花開いた芸術性」といいうよりも、むしろ
次第に洞窟へ、身体へと閉じ込められていく人間をイメージすることになってしまった。
とはいえ、洞窟壁画は圧巻である。
しばしみずからの心の洞窟へ潜ってみるのもいい。
自分の心の井戸に降りていくように。