風のDiary
2011.10.27.Thu
スマートフォン考

この夏から、携帯電話をスマートフォンに変えた。

パソコンはMACしか使わないのでiPhoneにしたいところだったが、
受信や継続などの問題もあって、docomoのGalaxy S2に。

電話をすることそのものが好きなほうではなく、
携帯電話を持ったのも仕事上仕方なくだったので、
相変わらず電話機能は最小限しか使わないが、
スマートフォンは、パソコン的な機能に加えて、
GPS機能などもあるので、けっこう遊べている。

車にナヴィを積むのも好きではないので使ってないが、
運転しながらではないところでのGPS機能はなかなか便利だ。
グーグルのストリートビューなども現場で使える。
どこにいても星空がリアルタイムに観察できるプラネタリウムだって使える。
その他にも、映像関係や音楽関係などもはじめ機能てんこ盛りで、
ソフトウェアも手軽にダウンロードできる。

ここしばらくずいぶんスマホで遊んだし、
パソコンが道具としてそこそこ便利なのとあわせて、
これからもそれなりに使っていくだろうが、
あらためて、パソコンやスマホにできないことのほうに
目を向けたいと思うようになっている。

パソコンやスマホは便利にはちがいないが
いうまでもなく、ぼくにとっていちばん必要なことに
それらはほとんど直接関係したりすることはできない。
高度で便利ではあるかもしれないが、必須のものではない。
そのことを忘れてしまうと、容易に足をすくわれてしまうだろう。
極論をいえば、お金だって必須のものではない。
あくまでもツールや機能にすぎない。

なにかを考えるとき発想法は2つある。
それで「できること」を考えること。
もうひとつは、それが「できないこと」を考えること。
それがあったら、または実現したら可能なこともあれば、
それがあっても、実現しても可能でないことがある。

それとあわせて、
その「できること」「可能なこと」がいったいどういうことで、
それがいったいどんな意味をもっているのか。
そのことを忘れないようにしたいと思う。

すべてのことをそのように考えたい。
「~すべき」ということにしても、
それが根拠にしていることとあわせて、
おそらくはその根拠そのものの不成立も考える必要がある。

そしてそういうことを明確にできないとき、
どうしても「そうありたい」ということがあったとして、
それが自分にとっていったいどんな意味をもっているのか。
そのことだけは常に意識しく必要があると思うのだ。
そうしなければ、人はあらゆるものに呪縛され続けたまま、
自由を失い続けることしかできなくなる。