風のDiary
2011.6.3.Fri.
マイ・バック・ページ

川本三郎の『マイ・バック・ページ』が、
山下敦弘監督で映画公開されている。
主演は、妻夫木聡と松山ケンイチ。

『マイ・バック・ページ』は、川本三郎が44歳のときに、
26歳頃の自分に起こった事件を回顧した物語。
1986年から二年間に渡って雑誌「SWITCH」に連載されていたという。
それが、その23年後、映画化され、本も再刊された。

大学を出たばかりの川本三郎は朝日新聞社に入社し、
そこで「赤衛軍」を名乗る革命家Kに親近感を持ち、
ジャーナリストとしてKの事件に関わり、
「証拠隠滅」で逮捕され、朝日新聞社をクビになる。

おもしろいことに、この『マイ・バック・ページ』関連で、
川本三郎と新右翼のリーダー、鈴木邦男が、
その鈴木邦男の「願い」で対談しているものが
朝日新書で2008年に刊行されている。
最初この話があったとき川本三郎は、
「正直、怖い気持ちもあった」ということだが、
鈴木邦男は、「暴力を否定して言論を大事に」し、
「終始、笑顔を絶やさない穏やかでやさしい人」で
「古い、懐かしい友人に会った思いがした」そうだ。
この対談の最初に、今回の映画化の話がでていたりする。
根岸洋之というプロデューサーから映画化したいという話があったという。
この対談の後、映画の制作が進められたということになる。

26歳と44歳と67歳。
川本三郎は自分の記憶、そして物語に
その都度、どのように向き合ったのか。
また、Kはどのような自分の物語にもとづいて行動し、
そして、鈴木邦男はどのような自分の物語をもって、
その態度を貫いているのだろう。

そんな記憶、そして物語のことをさまざまに思う。

先日、カズオ・イシグロを特集したテレビ番組を見た。
話題作『私を忘れないで』は、映画化され、
さらには舞台化されることになっているという。

番組で、カズオ・イシグロと福岡伸一が、
「記憶」をめぐって話すところがあって興味深かった。
ちょうどそこらへんのことが、「SWITCH WEB」に載っている。
http://www.switch-pub.co.jp/culture/084110000.php

  イシグロ 記憶といえば、作曲家のジョージ・ガーシュインの曲に
  「They Can't Take That Away From Me」があります。記憶を巡る歌ですが、
  「記憶は奪えるものではない」ということを歌っています。

  福岡 非常に興味深いですね。

  イシグロ 『わたしを離さないで』を書いている時にそのことを思い出したん
  です。小説の終盤で主人公のキャシーはこの歌詞によく似たことを言います。
  「わたしはルースを失い、トミーを失いました。でも、二人の記憶を失うこと
  は絶対にありません」と。記憶は死に対する部分的な勝利なんです。私たちは
  大切な人を死によって失います。でも、彼らの記憶を持ち続けることはできる。
  それこそ「記憶」の持つ大きな力だと思います。それは死に対する慰めでもある。
  それは誰も奪うことができない。だからこそ、アルツハイマーの人たちの苦しみ
  が悲劇的に感じられるのです。彼らはアイデンティティだけでなく記憶をも失っ
  ている、と。

記憶とその喪失といえば、
『明日の記憶』、『博士の愛した数式』という
映画化もされた作品のことを思い出す。
「死に対する部分的な勝利」としての「記憶」の物語であるという
『わたしを離さないで』も映画化されているように、
「記憶」というのは、やはり、
人の生の根幹にあるものでもあるのかもしれないと思う。

ぼくの根っこのところにあるだろう「記憶」とはいったい・・・。
どんな「物語」がそこからぼくを逆に物語っているのだろうかを思う。
とはいえ、小さい頃からひどく忘れっぽいぼくにしてみれば、
それは完成度も低くノスタルジックな誘惑にも乏しいものかもしれないが。

それよりも、どちらかといえば、
ぼくは自分の「記憶」の向こうにあるもののほうに興味をひかれたりもする。
ぼくの「マイ・バック・ページ」の「バック」が
永遠を意味するものであることを願ったりもして・・・。