風のDiary
2011.1.6.Thu.
田原『谷川俊太郎論』

集英社文庫全3巻の『谷川俊太郎選集』の編集者でもある
田原(Tian Yuan)の『谷川俊太郎論』(岩波書店/2010.12.21発行)を見つけた。
田原は、谷川俊太郎の詩をまとまったかたちで中国語に翻訳し、
中国における日本の詩歌の見直しと谷川俊太郎ブーム(らしい)の
きっかけをつくった人でもあり、みずから日本語での詩作も行っている。

谷川俊太郎の詩を長年編集してきた山田馨と谷川修太郎による
『ぼくはこうやって詩を書いてきた/谷川俊太郎、詩と人生を語る』(ナナロク社)は
1942年から2009年までに書かれた
谷川俊太郎の詩を概観しているという意味でも
ぼくにとっても昨年読んだ本のなかでとても印象深かった一冊だが、
この本の帯に赤で書かれているように、谷川俊太郎はたしかに
「日本でもっとも有名で、もっとも知られていない詩人」なのかもしれない。

あらためてふりかえってみると、
谷川俊太郎の詩やエッセイや対談などを
この三十五年ほどのあいだ、集中的ににではないにせよ、
ずいぶん読んできている。
「鉄腕アトム」など、知らずに聴いていた歌詞を含めれば、四十数年にも及ぶ。
ある著者の公に活字になっている著作などを読んでいる割合でいえば、
村上春樹のほかでいえば、谷川俊太郎は筆頭に近いかもしれない。
つまり、意識するとしないとに関わらず、
その日本語の影響をずいぶんと受けているはずである。

とはいえ、これまで「谷川俊太郎論」のようなものは、読んだ記憶があまりない。
おそらく「詩」というある種地味なジャンルで
あまりにも継続的に、そして精力的に活動を現在も続けているので、
「〜論」というかたちでとらえにくいということかもしれない。
しかし、それでいうと、村上春樹は、
ずいぶん「論」じられることが多いというのが対比されて面白い。

それで田原(Tian Yuan)の『谷川俊太郎論』だが、
著者によると、「筆者の知る限りでは、谷川詩に関する
系統的・本格的な研究はまだされていない」ということである。
帯に「国際的視野からの初の本格的批評」とあるが、
これをきっかけにぼくとしても、
その言語空間の秘密?に少しばかり分け入ってみようと思っている。

最後に、その著書から少し引いておきたい。

   谷川俊太郎は日本の現代詩において固有な空間を広く開拓し、新しい
  叙述方式と表現法を作り出した詩人である。詩は言葉の芸術であるとい
  う言い方があるが、ただ言葉の芸術というだけでは優れた詩たりえない。
  というのは、優れた詩人であるためには、悟性的な哲学と思想性を兼ね
  備えていなければならないからである。思想とは、我々が世界に対して
  有する認識、或いは認知である。世界を認識し、認知する上で最も難し
  いのは、世界を直接ありのままに見つめるということである。詩人は思
  想が欠落すると、世界に対する直観的な認識能力を喪失してしまう。実
  際、多くの詩人がありのままの世界ではなく知識を見つめてしまってい
  る。日本においても中国においても同じことである。明治維新以前は主
  に古典の知識、以後は主に西洋の現代文化の知識にのみ向かい合ってい
  る。だが、詩人にとっては、本当に欠乏しているのは知識ではなく、む
  しろ創造力である。創造は思想の精髄であり、思想は知識の源泉である。
  本当に芸術の天賦の才がある詩人であるならば、読者は必ず詩人が表現
  した意味を感じ取ることができる。谷川俊太郎は、一般的に、感受性に
  よって詩を書き、その詩に直接には思想を含ませていないように思われ
  ているが、実際は、彼の秘められた思想性こそが、彼の詩作の根源にあ
  る秘密であり、谷川の詩を作り出しているのである。谷川俊太郎の詩人
  としての存在価値はこの点にあると行っても過言ではない。(P.6-7)