風のDiary
2010.12.25.Sat.
世界を愛すること

ぼくはなんのために生まれてきたのだろうか。
答えのでるはずもないそんな問いは、
永遠が時間として展開される生のなかで
永遠とともにあることを垣間見るために
問われるのかもしれない。

先日終わったテレビドラマ「Q10(キュート)」の最終回の
こんなセリフに涙してしまった。

  Q10を愛したように 世界を愛せよ
  今は見えなくても 自分を信じろ
  いつか目の前に おまえが信じたものが
  かたちをもって現れる その日まで

ぼくは世界を愛しているのだろうか。
おそらくそれを問うことは、
今こうして生きているということそのものに
深く関わっているのだろう。

生まれてくるということは
世界を愛する必要条件でもあり
おそらく十分条件でもあるということに気づくこと。
そんな単純すぎることを理解するためには
永遠とともにありながら
永遠から置き去りにされたように見える生のなかでこそ
世界を愛さなければならないということなのだろう。

クリスマス。
イエス・キリストが生まれたことを祝う日。
キリストがあえて人間となるために生まれてきた日。
そして磔刑にあっても世界を愛することのできることを
それが永遠とともにありながら
時間としての展開のなかでの生を歩むことができることを
明らかにしたきっかけとなった日。

自分に問いかけてみる。
ぼくははたして世界を愛しているのだろうか。
生まれてきたことを真に肯定しているだろうか。
こうして生きていることを真に肯定しているだろうか。
世界を愛することはできたとき、
たしかに「永遠」という「かたち」が
ぼくの目の前に現れてくるのだろう。
「その日まで」。