ルドルフ・シュタイナー

エソテリック講義の内容から
参加者の覚え書き
GA266

佐々木義之 訳


 

秘教講義 ハンブルグ 3-3-1906

 神智学的な意味で神秘学徒になろうとする人は誰であれ、あらゆる思考が十分に考え抜かれるようにその思考を訓練しなければならない。短絡的な思考は唯物論者の印である。神智学的な神秘学徒は安易な思考に陥ってはならない。社会民主主義の考え方を取り上げてみよう。状況を変えよ、そうすれば、よりよい生活と労働条件が得られるだろう-というのは唯物論の信仰、短絡的で欺瞞的な信仰である。この信仰は社会生活についてのあらゆる探求をひどく麻痺させる。では、外的な条件を改善すれば生活や道徳でさえ良くなる、というこの唯物論的な信仰から脱却するにはどうすればよいのか?あらゆる変化は人間の手でなされなければならない。したがって、社会秩序のためにもたらされるあらゆる条件は、人間の思考や感情から生じる、という考えから始める。この考えをしっかりと心の中に保つやいなや、すべては外的な条件によってもたらされる、という唯物論的な観点から自分を解き放つことができる。
 初歩的な神秘学徒は、より良い外的な条件を創造することで世界が改善されることはない、という証拠を集めるように努めるべきである。神智学が私たちに告げるのは、社会秩序は人間によって創られる、それは人間の思考と感情の結果である、ということである。したがって、人がやるべきことは、思考と感情を育成することであって、社会秩序を変えることではない。神秘学徒は問う、変えられるに値するこの条件はどこから来るのか?と。そして、彼は、もし、この条件が自然によってベールをかけられているのでなければ、それは彼より前に生きていた人々の思考や意志衝動によってもたらされたのだ、ということを理解する。現在の条件がそうなっているのは、彼らがそれらを彼らの不十分な思考や感情を通してそのようにしたからである。精神科学は社会生活が異なった思考や感情から形成されるように私たちの最奥の魂的な力を力強く育成するものを提供する。このことが意味しているのは、精神科学にはあれこれのことがあちこちの地点でなされるための特許化された方法がある、ということではなく、誰かを評価する、ということでもない。もし、基本的な真実に浸透されているのであれば、正しい判断に到るであろう、と確信しているだけである。そのような真実のひとつとは、貧困、悲惨、そして苦しみは利己主義の結果以外の何ものでもない、ということである。人はこれを自然法則のように見なさなければならない。私は個人的な報酬を受けるべきだ、それは私が為す仕事への報酬である、という原則にしたがって生きるやいなや、人は利己的になる。神秘学徒は仕事が本当に生命を支えるものであるかどうかを自分に問いかけなければならない。仕事は賢く導かれなければ取るに足らないものとなる。人の役に立つものが生み出され、造り出されるのは、人がその中に注ぎ込む叡智を通してだけである。それを理解せず、それにほんの少しでも背く者は、現代の社会的な考えに背いているのである。
 あらゆる局面でこれについてよく考えてみることによって思考が強化される。いかにして雇用を創出するかについて考える社会民主主義者の思考は最高度に反社会的なものである。そうではなく、仕事は人間のために、価値ある産物を造り出すためにだけ用いられなければならない。社会共同体の中では、仕事に対する衝動は個人的なものの中にではなく、全体への奉仕の中になければならない。これは次のように言うこともできる。社会的な発展が可能となるのは、私が全体を良くするために働くときだけである、言い換えれば、私の仕事は私のためのものであってはならない、と。社会的な発展は、人はその仕事に対する個人的な報酬を受けないようにする、というこの発言を受け入れるかどうかに完全にかかっている。人は仕事を社会共同体に負っている。逆に言えば、人は社会が彼に与えてくれるものの範囲内で生きていかなければならない。そのような社会的なものの見方の正反対もまた正確にフォローすることができる。社会民主主義者が低賃金で働くお針子たちに、「君たちは搾取されている」と告げた例を知っているだろう。しかし、今、お針子は日曜日にダンスに行くため、安物のドレスを買いに出かける。彼女は安物のドレスを求める。しかし、何故そのドレスは安いのか?何故なら、他の労働者が搾取されているからである。では、誰がその労働者を搾取しているのか?もちろん、安物のドレスを着て日曜日にダンスに出かけるお針子である。ここで明晰な思考ができる人は既に豊かさと貧しさの区別から解放されている。何故なら、それは富や貧困とは無関係だからである。したがって、将来、人々が個人的な利益を考えることなく一生懸命、そして献身的に働くようになるための基盤がまず創られなければならないのである。
 誰かがある治療薬を発明し、すぐにそれを特許化することを欲したと仮定してみよう。これは、彼が個人的な利益を考えていたということ、そして、彼は全人類に対する愛に満ちていたわけではないということを示している。何故なら、もし、人々の健康が彼にとって最も重要なことであったならば、彼はその治療薬には何が含まれているか、どうやってそれを作るかを発表することに気を使ったはずだからである。そして、別のことも起こったかも知れない。すなわち、彼は彼の愛情でできた治療薬の方がより優れていることを確信した、ということも。
我々はここで秘教主義における最も重要な言葉、「魂を高貴にする方法へと到達しなければならない。有益な発展を達成するためにその思考を使用する者は、まず人間の魂を高貴なものにするよう配慮しなければならない。」という言葉へと到る。
これとともに、薔薇十字会の格言を最後に置くことにしよう。

 全き存在が束ねるあの力から
 おのれを解放するのは
 自制を見出す者である