ルドルフ・シュタイナー

エソテリック講義の内容から
参加者の覚え書き

GA266

佐々木義之 訳

 


秘教講義 シュツットガルト1-20-1907


 回想:記憶のように目を閉じたままある景色のイメージを見る場合と、直接見るときのように目を開けてそれを見る場合とが異なっているように、回想によって私たち自身をこれまでの経験の中に置きながら、魂の経験と外的世界におけるリアルな経験との間の違いを正しく感じてみよう。それは記憶と回想の間の関係と同じものである(記憶とは思い出であり、この場合の回想とは見ることである)。
 秘儀参入者の中では、記憶は徐々に消え失せ、思い出そうとするものの直接的な観察によって置き換えられる。人はその日に経験したものの像を、身なり、顔つき、仕草などの細部に至るまで、全く正確かつはっきりと眼前に置き、それによって、像の中のプロセス、つまり、どのように話され、何が行われたか等々をよく見なければならない。さして興味を引かないような些細な経験、思い出すのが難しいような記憶を呼び起こすことが重要である。何故なら、それによって内的な力が引き起こされるからである。イマジネーションの力は像をイメージする能力を通して創出される。重要なのは像の明晰さであって、経験の完全さではない。この作業全体を通じて、いかなる筋肉も緊張させてはならない。ちょうど光が外的な眼を最初に創造し、体が外からの刺激によってその他の器官を形成したように、今はそれをアストラル体に伝えることが求められる。これはあらゆる肉体の活動によって生じさせられる。肉体上のあらゆるもの、胃やその他の内的な器官は外から形成される。そのように、アストラル体の器官も像をイメージすることを通して形成される。
 補助的な訓練:私たちはここでも思考から始めて、対応する感情が得られるまでそれを続け、それからそれを私たちの体に注ぎ込まなければならない。そして、第二の訓練に移る前に、それを1か月かあるいはそれ以上行う、等々である。その注ぎ込みによって、アストラル体に一貫性、確かな形態、背骨が与えられる。これらの補助的な訓練の最初のものは思考のコントロールである。ひとつの課題を取り上げ、他の考えを入り込ませることなく5分間それについて考えるよう努める。そのとき、特定の感情が生じるので、それを肉体に注ぎ込むようにする。その対象に興味を持てなければ持てないほどその訓練にとっては好ましいものとなるが、それはその場合、五分間もそれに集中したままでいることが難しいからである。第二は行動の自主性である。それはそれを行うために自らを強いる必要がある行為でなければならない。第三に、快と不快の克服であるが、これは喜びや悲しみを感じないのではなく、それらに自分を支配させないということである。第四に、あらゆる探求における肯定的な態度、第五に、あらゆる経験に対して偏見を持たないこと、第六に、これら五つの訓練すべてをリズミカルに繰り返すことである。それぞれの補完的な訓練はそれから生じる感情を体に注ぎ込み、それを経験することができるようになるまで行う。そのときはじめて次の月に進む。
 瞑想:最初の朝のワークとしてあなた方に与えられる瞑想では、目覚めさせること、力を目覚めさせることが意図されている。
 百合とは造物主によってかつて語られた言葉の可視的な表現である。実際、どのような言葉や母音が語られるか、どのような思考や感情が送り出されるかに多くがかかっているが、それは木星、金星等々の地球状態を通してそれらが可視的になるからである。同様に、ここ地上における三つの自然領域、鉱物、植物、動物界は古い「月」の住人たちがかつて語り、思考したことの表れである。マントラや瞑想の言葉がその順に読まれるような言葉の響きや文字列として選ばれているのは、そのような順番でのみそれらの効果が発揮されるからである。私たちが行い、創り出すもの、例えばケルンの大聖堂、ラファエロの傑作、音楽等はいつの日か「木星」上で可視的となる。ケルンの大聖堂はより成長した形で見えるものとなり、ラファエロの絵画は幻か雲のように「木星」を取り巻き、私たちの音楽は天球の音楽としてかなたの「木星」上で鳴り響くことになるだろう。
 私たちが訓練の中で考えておかなければならないのは、主はこのようなことを私たちのために心に留めておられる、ということである。それが訓練の目的であり、「霊の中に私の体の種子がある・・・」といった形式がそれを私たちに伝えている。アトランティスにおける古の達人は聖なる言葉AUMの中でこれを簡潔に表現している。
 Aは正確かつ明確に響く過去である。
 Uは鈍い母音で現在を表現している。その中には何か過去における明晰さと現在における行動への自由のようなものがある。
 Mは未来における漠然としたものであり、それに対してはまだそれぞれの母音があれこれの行為をつけ加えることができる。
 正しい回想は魂の中に偉大な力を目覚めさせるが、人はそれをアストラル平面に上昇できるやいなや必要とする。思考のコントロールによって思考の支配が生じる。行動の自主性からそれ以外には感じられなかったような活動や働きへの衝動が生じる。朝の瞑想がその日の最初の仕事でなければならない。