yucca 覚え書き

シュタイナーをめぐって 3

1998.11.11-1998.11.30


●吉備津神社鳴釜神事

●ドイツのホメオパティーなど

●魂振りホメオパシー

●ヤドリギ、ケルトと北欧ゲルマン民族

●ヤドリギと光

●外界と内界への眼差し

●ヤドリギとウサギ

●古代吉備王国、鉄と自我、ミカエルの剣

●宝石と人体(GA97「キリスト教の秘儀」より)

●金枝ヤドリギ 

 

 

 

吉備津神社鳴釜神事


1998.11.11

 

 竈の鳴る神社というのは、備前一の宮、吉備の吉備津神社だと思います。岡山市内からJR吉備線、バスなどで行けると思います。私も5,6年前に初めて吉備津神社を訪れたのですが、以来この吉備地方の雰囲気がとても気に入っていて何度か出かけましたが、最近は行ってません・・

 この吉備津神社は吉備の中山こんもりした山の中腹にあり、本殿は「比翼入母屋造り」という珍しい建築様式で、長い廻廊を降っていくと「鳴釜神事」の行なわれる「御釜殿」があります。吉備地方に伝わる「吉備津彦の鬼退治」の神話が桃太郎伝説の原形と言われるようです。

 『吉備津神社』(岡山文庫)によれば、垂仁天皇(あるいは崇神天皇)ごろ、異国の鬼神・・名を温羅(うら)との吉備の冠者(かじゃ)とも言う・・が吉備国に飛来し、悪さをするので、朝廷から武勇の誉れ高い五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)が派遣され、激しい闘いのすえ温羅を打ち負かしたが、その際、瀕死の温羅があおのれの「吉備冠者」の名をミコトに献じたので、以来ミコトは吉備津彦命と改称されるようになったそうです。そしてこの温羅のはねられた首が祀ってあるのが「御釜殿」だそうです。埋めた首が何年たっても唸り響いて止まらず、釜殿の竈の下に埋めても鳴り止まず、ある夜、ミコトの夢に温羅の霊が現われて、自分の妻の阿曽媛にミコトの釜殿のみけを炊かせよ、そして世の中に異が起こるとき竈の前に行けば幸いあれば裕か(ゆたか)に鳴り、禍あれば荒らかに鳴るだろう、と告げた、これが鳴釜神事のおこりで、この神事は現在も行なわれていて民間信仰として有名だそうです。

 ここからもう少し西に行くと、阿部仲麻呂らとともに唐に渡り、帰国後活躍奈良朝で活躍した吉備真備の出身地、真備町があり、このあたりは古墳も多くどこか飛鳥地方に似た田園地帯でとても好きです。「吉備大臣入唐絵巻」に鬼になった阿部仲麻呂が出てきますが吉備津彦命一族を始祖とするという吉備氏(陰陽道に関わりが深い)と、鬼伝説・・・興味深いです。

 

 

ドイツのホメオパティーなど


1998.11.13

 

 手もとにある『ドイツ「素人医師」団 人に優しい西洋民間療法(ホメオパティー)』(服部伸 講談社)をめくっていたのですが、それによると、200年にわたってホメオパシーの効果について論争が繰り広げられ、アカデミックな医学の主流派からは迷信扱いされ、ドイツの大学からも閉め出されていたそうですが、民間を中心に信奉され続け、近年、免疫学などとの関連でホメオパシーに関心を寄せる研究者が大学にも現われたり、近代科学一辺倒の価値観も変化してきたこともあって副作用の少ないホメオパシーが再評価されるようになった、この状況を反映してホメオパシー処方を掲げた薬局がドイツのたいていの町には何件かありホメオパシー治療をする医師の数も多いそうです。シュトゥットガルト市の職業別電話帳(1996)ではホメオパシー医という項目が独立していて、市内で14人のホメオパシー医が開業している、254人の一般医に比べると数は少ないけれどもそれなりの受容はあり、社会的に認知されている、とあります。さらにドイツでは治療師Heilpraktikerという資格があり、鍼灸、指圧、自然療法などとならんホメオパシー治療を行なう人の比率が高いそうです。歴史的にこういう素人医Laie(必ずしも大学の正規の医学教育を受けておらず医師の資格を持たない治療師)たちが多く活躍し、この素人医が中心になった素人医協会も組織された、ドイツ医学が急激に発達した時期は、ホメオパシーも素人医の協会組織を各地で結成して正統医学に対抗する大きな勢力となっていたけれど、日本はもっぱら学校医学の受容に専念したようです。

 前の書き込みでwhite birchさんも言われていましたが、陸軍型のドイツ医学受容、森鴎外センセイ、ゲーテのファウストは訳してもゲーテの自然学や民間療法的なホメオパシーには関心が向かなかったのでしょうか。愛娘の森茉莉サンは子どものころ、「ドイツの衛生学に凝り固まった父」が生の果物はいけないというので、砂糖で煮た果物ばかり食べていたとか、お刺身を煮て食べたとか・・なまものは体を冷やす、というのは東洋医学でもよく聞きますが。

 さて、シュタイナーですが、『精神科学と医学』第5講で、ホメオパシーとアロパシーについて、精神科学的に見て、本来アロパシー療法家というのは存在しない、アロパシー的な薬も、生体組織においてはホメオパシーのプロセスをたどり、実際にはホメオパシープロセスによってのみ癒していくのだから、と言っています。つまり生体組織そのものがホメオパシーすることによって、アロパシー的な処置を支えるのだ、ということらしいです。ただ、アロパシー的な薬を投与されると生体組織に大きな負担がかかる、と。例によって何だかわかりにくいことこの上ない説明なのですが、要するに生体組織は、外から入ってくるものに対していつもホメオパシーしている、ということを言っているのだろうと思うのですが、具体的なプロセスが今一つイメージできません(?_?;)

 

 

 

魂振りホメオパシー


1998.11.15

 

 さて、ホメオパシーにおいて希釈のたびに激しく振ってポテンシーを高めていくやりかたですが、white birchさんがおっしゃっていることまさに核心に触れることではないかと思います。 

>"Potenz"の意味はじめて知りました。フラスコを振りながら

>薬を作るとは知りませんでした。神社の鈴振りや魂振りのような

>効果なのでしょうか。そもそも魂振りとはどんな効果をもたらす

>ものなのでしょうか。前には出しました、白川静先生の本に

>「修」の右下のちょんちょんちょん、杉の字の右の三は、古代では

>呪術医が背中から気を送った姿だと書いてありました。このちょん

>ちょんちょんが魂振りに通ずるのではないかと思っていますが、

>「振る」という行為もオイリュトミーなのではないかと思います。

>レーバーさんたちの指先が痙攣するようにふるえていたのを思い

>だしましたが、様々なfrequencyの表現があるのだと今更ながら

>感心いたします。

 シュタイナーの『農業講座』にある牛の角を使った肥料を作り方のところがこのことと深く関連しているようです。ここでも薄めながら力強くかき回すのですが、それを行なう人間の心の状態が重要なポイントのようです。

 牛の角に糞(プレパラート)を詰めこれを冬の間活性化している大地のなかに埋めます。ひと冬土のなかに埋めておくと角の中身はまったく匂わなくなるそうです。それから中身を取り出してバケツ半分くらいの水で薄めて肥料とするのですが、このとき水に完全に溶かすためによく撹拌しなければならない、撹拌の仕方は、バケツの水がバケツの回りに高くもりあがってきてバケツの縁すれすれになるように、急速に撹拌します。こうして水が円錐形をなしてバケツの底が見えるくらいに全体を掻き回すのです。このように水を急速に回転させ、次に反対方向に掻き回して泡立てます。一時間ほどこの作業を続けますと、水と角の中身は完全に混ざり合います。するとまったく匂いのしなかったものからかすかな芳香がたちのぼってくる・・これはいわば「霊的な肥料」だと言われています。

 また粉々にした石英や珪石、長石などを牛の角に詰めて肥料にする場合は冬ではなく夏の間地中に埋め、晩秋に掘り出して翌年の春まで保存してから上記と同じ方法で水に溶かすのですが、この場合は水に溶かす分量は、ほんのわずか、場合によっては針の頭くらいでよいとされています。

 そしてかき回すのに撹拌機を使ってよいか、という質問に対し、シュタイナーは、機械で行なうのと人間が手でかき回すことには大きな違いがある答えています。手で行なう場合にはありとあらゆる繊細な動き、またその都度の感情の動きさ撹拌運動のなかに入ってくる、ところが機械でする場合そういったものはいっさい入ってこない、と。そしてこのような違いは医学の場合でもはっきりと認められるとしています。

 医薬品を人間が自ら手で作った場合には、その作業を通してその医薬品に何かあるものを付与してえやることあできるのです。そういうことを皆さんは決してばかににてはいけません。[中略]皆さんはおそらく感情などというものは何の重さもなく、量ることはできないと言われるかもしれません。

しかし感激というものは波動を生じます。もし医者が感動していれば、その感動が波動となって伝わっていきます。もし光線が薬品に影響を与えるというなら、どうして感激の波動が薬品に影響を及ぼさないなどと言えるでしょうか。感動は伝わっていき多大な効力を発揮するからこそ、今日でもなお、感動をもって治療にあたる医師達が大きな力を発揮することができるのです。[中略]これに反して、もし皆さんが無感動に作業するならば、おそらくそこで作られる生産物の効力は弱いものとなってしまうでしょう。

(『農業講座』124頁以下)

 要するに「心をこめて」というのは単なる気休めではないということですね(^^)

 『農業講座』は『精神科学と医学』と密接に関わっているようです。

 

 

 

ヤドリギ、ケルトと北欧ゲルマン民族


1998.11.18

 

 今朝は獅子座流星群を見ようと4時過ぎに起きたのに厚い雲に覆われていてさっぱり見えず残念でした。でも午前0時すぎの夜空は、一日中吹き荒れた木枯らしのおかげか恐いくらい深く澄み切り、きいんとした冷気のなかで天頂近くオリオン、シリウス、プレアデス、双子座の一対など、不思議な記号めいてきららかに輝いておりました。

 ヤドリギというのはほんとうに興味深い植物ですね。工作舎の『フローラの十二か月 植物・祝祭・物語』(ジャン・マリー・ペルト尾崎昭美訳)という本を少し前に買ったのですが、植物学に神話とシンボル、民族伝承などを織り込んだフランス歳時記といった感じのちょっとお洒落な本で、いろいろと参考になる部分も多いので拾い読みしています。

 この本のヤドリギの章には、ヤドリギの薬効をシュタイナーが指摘したこと、それに基づいて「ある大製薬所」(WELEDA)が行なった研究が信頼に値するものであること、なども書かれていました。夏のヤドリギと冬のヤドリギを混合して調製された発酵ヤドリギをベースにする薬剤は、細胞分裂を抑制することと、器官の防御反応を刺激することが長い実験の末、どんな反論もあり得ないほどに照明された、この療法は、他の困難な療法への添加的投薬用として勧められ、患者に対してはいかなる危険もなく、社会保険で特別の費用もかからない、抗癌剤的性質についてはいまだに議論は終わっていないけれどもドイツ、スイスにある製薬所で製造された薬剤はこの国々で広く用いられている、と。

 この章の最後にはこうありました・・

ヤドリギをベースにした医薬品製剤は今日、ヴェレダ製薬の専門である。「ドルイドの巫女、ケルトの魂の目覚め」のなかでヴェレダは恍惚として謳う。

聖なる宿り木の、堅固なる柏に育つごとく、

真の英雄の魂は神の口もとを見つめて聞き入り

凍てつく厳冬の中で永遠の樹液を飲む

普遍の魂の生きる若き枝の…

「異教徒」の宗教の聖鳴る植物である宿り木は、後期んる象徴的意味を持ちながらも、決して「キリスト教化」されることがなかった。それがクリスマスと新年のために家々を飾るとしても、祭壇でそれを見ることは決してない。しかし、にもかかわらず、それはすぐれて幸運を運ぶ植物であり続けるだろう。ヤドリギの下で交わされる接吻は友情のしるしであり、歓喜の予感である。 

 「顕教的な」キリスト教にとっては、ドルイド教はまさに異教でしかないのでしょうが、シュタイナーの言う秘教的キリスト教にとっては、ケルト民族もゲルマン・北欧民族も、さまざまなかたちでそれぞれに秘儀的役割を担っていたようです。

 『民族魂の使命』(西川隆範訳 イザラ書房)などによると、ケルト人の民族霊は、のちには秘教的キリスト教の指導という課題を受け取ることになるが、それ以前はヨーロッパの人々のまだ若い自我を養育するという課題を有していた、そのためにはケルト人は高次の世界から直接教育されねばならず、(ケルト人は自分の力ではその教えを受け取ることはできなかった)秘儀参入者であるドルイド教の司祭を通して高次の世界から授業を受け、それをほかの民族に伝えていったといいます。

 しかし、進化の歩みにつれて秘儀は後退する必要があった、(古代の巫女の力は失われねばならなかった)だからヨーロッパではケルトの要素が後退するとともに秘儀も後退した・・ただ、北欧ーゲルマンー北欧諸民族だけは、まだ長い間霊的な世界を直接見ることができた、直接的な霊視経験があったので、キリスト教がひろまりつつあった時代にも、ほかの民族とはちがった意識を有していた・・

 シュタイナーによると、北欧ーゲルマン神話に見られるロキによるバルドル殺害、バルドルがロキの計略によりヤドリギの枝によって殺されるというのは、ルシファーのような殺す力が、人間をアーリマンへと駆り立て、霊視力を喪失する(盲目のホズ(ヘズル)によって表わされる)に至った、ということになるそうです。バルドル的なもの、すなわち霊的な世界を見る目が次第に失われていくのを、北欧ーゲルマンの人々は感じていた、ということです。ギリシア神話などほかのどの神話も、北欧ーゲルマン神話ほど正確に古代の霊眼によって見られた事実を伝えてはいないそうです。

 このあたり、みちのくから北海道のあたりの風土にもあてはまりそうですね。「ほよ」を詩っていた万葉集の風土はなんだかケルト的といえそうな感じもします・・

 

 

ヤドリギと光


1998.11.20

 

 ヤドリギについてもう少し。ここ松山の街中を流れる川沿いの公園にもヤドリギを宿した樹があって車の窓から通りすがりによく眺めるのですが、冬枯れの枝々のなかに、絡み合った球形のヤドリギがいくつか引っかかっているシルエットはとても不思議で、(遠くから見ると繊細な銅版画のようです)以前から心惹かれる風景でした。

 昨日、以前WELEDAのカレンダーに「ヤドリギ特集」があったことを思い出しました。ヤドリギのいろいろな部分を描いた素朴だけれど感じの良い挿絵に、植物学的特徴や神話、薬効、育て方などなど、その月に応じた充実した内容の詳しい説明も付いてます。1994年のものです。

 WELEDAのカレンダー、このヤドリギ特集以外に手元にあるのは、1991年の、銅と銅を多く含む結晶鉱物(マラカイト(孔雀石)、アズライトなど)の特集だけなのですが、これも写真がすごく綺麗で今でもときどき眺めています。

 さて、ヤドリギですが・・white birchさんが指摘されているようにヤドリギはいわば「半寄生植物」で、ほかの多くの寄生植物と違って、樹に寄生しているというのに自分で光合成をし、真冬に宿主の樹がすっかり葉を落としても青々としています。『フローラの十二か月』によれば、ヤドリギが太陽を捕らえようとする努力はほとんど過剰と言っていいほどで、過度の光合成により、光が届かないのに豊富な葉緑素を溜め、根の代わりをする吸根によって光合成をする、光が充分届かない胚にも葉緑素が含まれる・・「ヤドリギはいわばその全身で内部から光に浸透されている」のです。

 Itohさんにご紹介いただいている”食事と癌”の「癌患者における光代謝の阻害」で、癌細胞が光の代謝から除外されている、という指摘がありましたが、「内部から光に浸透されている」ヤドリギが癌腫を抑制する力を持つというのもうなづけます・・ 

>    前の章で癌細胞は呼吸能力がないことに触れました。今回は癌細胞が光

>    の代謝から除外されているという事実にであいます。癌細胞は闇の中に

>    存在します。このことは栄養上にも治療上にも、含蓄の深い癌予防の

>    背景として興味があることです。

>    光は感覚器官や皮膚をとおして体に流れ込みますが、食べ物を食べるこ

>    とからも入ります。光は精神生活に影響するばかりでなく、生きること

>    全般のプロセスを刺激(促進)します。

>    (U.Renzenbrink「Diet and Cancer」R.Schtainer Press

 『精神科学と医学』13講では、ヤドリギが腫瘍形成を抑える力は、ヤドリギが直線的でない発達をすること、つまりヤドリギ全体が球形のかたまりに成長するという特性から主に説明されています。色々な点でヤドリギが自然界のなかで特異な存在なのは確かなようです。

 宿主の精気を吸い上げるヤドリギというととんでもない悪者のようですが、あまりにも多くはびこらないかぎり、宿主の樹を弱らせることはないそうです。程良い割合であれば、均衡が成り立っていて、無分別に均衡を破ることの方が危険だとか。薬効もあることだし・・

 

 

 

外界と内界への眼差し


1998.11.22

 

 少し前に愛媛県最南端の高茂岬というところに出かけたとき、このあたりにも生息しているとは聞いていたものの、図鑑や標本でしかお目にかかったことのなかった「アサギマダラ」蝶を見かけました・・控えめな色の和風ステンドグラス、といった粋な色合いです。浅葱色、縹(はなだ)色といった色名がぴったりくるような灰色がかった淡い青に茜色に黒・・蝶のことを気にかけているとこういう思いがけない出会いもあるのかと何だかうれしくなりました。

 佐々木さんの「魂の変容」第2講読ませていただきました。笑うこと、泣くこと、人間の魂、内面を見つめようとするときに導きの灯となるような内容ですね。まさに「魂の変容」のためにはこういう認識が不可欠と思いました。(とくに笑いについては、ニーチェ的哄笑、アルカイックスマイル、オリエンタルスマイル、アメリカンスマイルなどなど、いろいろ考えさせられました(^_^)

 「宇宙の霊性と人間の物質的なものとを結ぶ橋」(GA202)にもあったのですけど、外界(自然界)に対しては羊飼いたちのように素朴で敬虔な眼差しを、内界(自分の内面)に対してはマギたちのように厳しく冷静でくもりない眼差しを・・(現代人はこれが逆転する傾向にあるようですが)シュタイナーの講演内容をいろいろ見ていくと精神科学的認識には、この両者が不可欠というのが納得できるようです。

 

 

ヤドリギとウサギ


1998.11.22

 

 加藤さんwrote:

> ヤドリギとウサギ

> yuccaさんのヤドリギについての覚え書きを読んでいて、そういえば

> 川沿いの公園のヤドリギの生態についてふと思い出しました。

> この半寄生植物は、奇妙だけれどとても不思議な生き方をしています。

> 冬になると木立全体の最も生命力を感じさせる部分になるのです。

> 落葉樹は大方のところその生命力は大地の中に潜伏して再び春を

> 待っているような様子に変化します。そんな冬枯れの木々のシルエットの中で

> ヤドリギだけが、異様に青々と光合成をしています。まるで地下の根に潜んだ

> 生命と連携しているように見えるのです。

> シュタイナーが植物動物という表現をしていますが、ヤドリギはその末裔なので

> しょうか。冬の太陽の光に当たるために枝から枝へと移動しているようなのです。

> 子供時代に「ずいぶんヘンな植物だな」と思っていましたが、動物と植物の

> 中間亜種だとすれば納得がいきます。

 ほんとうにヤドリギは冬の間の地中の太陽の力と親和性があるようですね。真冬に青々、おまけに普通の植物の種が闇に包まれているのにヤドリギは胚にまで葉緑素を含む・・まさにシュタイナーが言うようにヤドリギは「自然から特別扱いしてもらっている貴族」みたいです。太陽光を浴びることによって、人間も体内で自前の光生産をしていると言いますが、この内的な光生産とヤドリギ、興味深い関係です・・

 「動物と植物の中間亜種」といえば、食虫植物も思い出しますね。植物の動物化傾向といえば『精神科学と医学』の19講でベラドンナについて、「ベラドンナ化とは人間化しようとする気違いじみた努力だ」とか言われています。ベラドンナは、動物あるいは人間の行なうような「知覚」を欲求しているのだそうです。そしてベラドンナの毒の作用は(月紀的な?)夢のような意識状態を持続させる、と。ヤドリギの実もそのままでは毒ですが、有毒植物というのは確かに全般に一種の動物化(そして人間化)傾向と関係しているようですね。 

> 同様に月紀の痕跡を残した動物に兎がいます。

> シュタイナーは、内面から声を発することが哺乳類の特徴だと言っていますが

> ウサギは鳴きません。これは身体的進化に意識が、追い付けなくて夢意識

> のまま「月紀状態」 が残っているためではないでしょうか。

> ウサギに聞いてみないとわかりませんが、いつも夢ばかり見ているように

> 思えるのです。

> 月にウサギがいるいうお話しは、シュタイナーと無関係ですが、

> ジャータカのインドラ神の化身を思い出させます。

 道教の神話ではたしか太陽のなかに金のカラス、月のなかには蟾蜍(ヒキガエル)かウサギですが、月と桂の木とウサギという組み合わせは、魅力的ですね・・

 

 

 

古代吉備王国、鉄と自我、ミカエルの剣


1998.11.27

 

 吉備地方は古代から砂鉄の産地として有名で、『延喜式』によると、山陽道のうち美作(みまさか)と備中は、調として鍬と鉄を朝廷に納めることになっていたそうです。

 そして吉備津宮の西北の阿曽(あそ)は金屋、つまり鋳物師たちの集落であり、吉備津宮御釜殿の釜も彼らの手により鋳造され奉納された、御釜殿に常住する巫女は阿曽女(あそめ)と呼ばれた・・特殊技術者集団である鉄の民ーお釜ー鬼伝説とは興味深いつながりです・・

 鉄といえば、神秘学的には火星[Mars]と対応する金属ですが、『精神科学と医学』第3講で、血液中の鉄による治癒力について語られていた内容が思い出されます。血液と乳汁が比較されていて、両者とも形成力を持つことは同じだが、乳汁には必要でない鉄を血液は最高度に必要としている、なぜなら、血液は人間の生体組織においてそれ自身の本性により病んでいて鉄によって絶えず癒されなければならない実質だから、とされています。血液は肉体における自我の現われ(腺組織はエーテル体、神経組織はアストラル体の現われ)と言われますが、この自我の現われたる血液が本来病んでいて絶えず鉄によって癒されなくてはならない、というのはとても示唆的です。

 こういったことを、より「超感覚的」「宇宙的」レベルで具象的に説明・描写していると思えるのが、『四季の宇宙的イマジネーション』(西川隆範訳 水声社)の以下の部分です。 

 人間は自然存在であると同時に自己を意識する意識存在です。外界の自然を見る限り、自然は春から夏にかけて芽生え、成長し、秋から冬にかけて衰退、死滅します。しかし、人間の自己意識は自然が死にゆくとき知覚されます。ミカエル祭は秋分の頃です。ミカエルは夏から秋への移行を司ります。秋から冬へと自然は枯渇し死滅するが、春と夏を体験するだけでなく、生命が衰退し、死滅する秋と冬の内面を体験することによって、自然意識を克服する自己意識を実現できるというのです。 

真夏の間、人間はすばらしいアストラル的な光のなかにいます。けれどもこの荘厳な美のなかで、アーリマンの力が人間に浸透してゆくことがあるのです。人間のなかで硫黄化する質量はアーリマン的な力に非常に結びついています。人間がヨハネ祭(夏至の頃)の光のなかで宇宙に輝く一方、龍のような蛇の姿のアーリマンが、このアストラル光のなかで宇宙に輝く人間のなかをうねってゆきます。アーリマン的な力は人間に巻き付き、がんじがらめにしようとします。アーリマンは人間を夢のような、眠りのような意識下に引きずり込もうと試みます。アーリマンは宇宙に輝く人間を幻影のなかに誘い込みます。そして、宇宙の夢のような意識に落ち込んだ人間はアーリマンの餌食になるのです。このことは宇宙においても意味があります。

夏、ある星座から隕石の群れが落ちてきます。この隕石に含まれる鉄のなかには非常に強力な治癒力が含まれています。この宇宙から降ってくる鉄の治癒力は、輝きを発する人間に龍のように巻き付こうとするアーリマンに対する神々の強力な武器になります。地上に落ちてくる隕石のなかの鉄は、秋が近づくと宇宙の力として上位の神々がアーリマンに打ち勝つために使用するのです。8月、隕石の群れがアストラル光のなかで人間の輝きのなかに輝き入るとき、宇宙で荘厳、壮大に演じられることが小さな形  で人間の血液のなかで生起します。小さな形といっても、量的に小さなだけです。今日の科学が考えるような物質的な仕方ではなく、人間の血液は鉄分によって霊的・魂的な刺激を受けます。血液中の鉄分が不安、恐怖、憎しみと戦うのです。鉄化合物が入り込むときに血液のなかに生じること は、隕石が輝きを発しながら空気中を突き切って落ちてゆくときに生じることとまったくおなじものなのです。鉄が浸透することによって、人間の内部に隕石の落下とおなじ作用が生じます。血液のなかに鉄分が入り込むことによって、不安が克服されるのです。鉄分の浸透によって、不安、恐怖が克服されるのです。

(中略)ミカエル祭が近づくと、人体内の血液に鉄分が降りかかってきます。人間は意識のなかで血液の隕石のごとき力を使用することを学ばなくてはなりません。ミカエル祭を不安と恐怖の克服の祭りとして祝い、無私の自己意識の思い出の祭りとすることによって、内的な力、内的な主導権の祭りにしなければなりません。

(中略)ミカエルが栄光を表わし、龍に力を振う空間は、通常の雲に満たされていると思い描いてはなりません。ミカエルの心臓から流出する力をとおして、鉄の隕石の群れはミカエルの鉄の剣に溶け込みます。この隕石  の鉄でできた剣の持って、ミカエルは龍に打ち勝つのです。

 自然存在にして自己意識存在である人間・・自然存在が意識を圧倒すれば白日夢のような意識状態に陥ってアーリマンの餌食、意識存在がエゴイスムに陥ればルシファーの餌食(?)ということにもなるでしょうか。

 「無私の自己意識」とはエゴイスムに陥らない自己意識ということでしょうがこれがほんとうにムツカシイ・・;^_^)ともかくも、ミカエル衝動を意識化して、内的な力、内的な主導権を握ることが意識魂の時代の人間の課題(つまり自由への道)なのでしょうが、実際に人体内の血液中の鉄は、ミカエルによるアーリマンの克服と同じ作用をしているという説明にはほんとうにびっくりしました。

 鉄を扱う民は、ある種のミカエル衝動を体現していたのでしょうか。強い自己意識と鉄、鬼伝説・・勢力ある特殊技術者集団への支配者側(?)の恐れが抑圧、差別とつながり鬼伝説を生んだ、とかいろいろ言われるようですが・・水銀にせよ、鉄にせよ、金属をめぐる歴史はほんとうに謎に満ちていますねそして個々の物質についての精神科学的な説明もほんとうに驚くばかりです。

 

 

宝石と人体


1998.11.29

 

white birch さんwrote:

> いま、ちょっと空想しているのは、個々にでてくる元素について、

> 「元素表」に基づいて、効能を分類した表を作ったらどうかと思います。

> シュタイナーの本ではあちこちにちりばめられているのはいいのですが、

> まとめて、「今日の治療指針」のようなものがあると臨床家には大変

> たすかると思うのですが、ヴィッテン大学の方に聞いてみたいです。

>

> 疾患ごと、気質ごと、星座ごと?などに結合力、反発力が一対になった

> 元素表ができれば面白いと思います。

> あるいはライプニッツの円形の易の図のように。

 ライプニッツ、すてきですねえ・・ライプニッツの宇宙観はなんだか、ルネサンス期のクザーヌスやパラケルススと、ロマン主義時代のノヴァーリスの間にあって、総合の魅力のバロック的集大成という感じがします。(ちゃんとライプニッツそのものを読んだわけではないのですが(^^;;) 下村寅太郎さんの『ライプニッツ』はとても良かったです)

 さて、金属などですが、個々の元素についての説明は『精神科学と医学』だけではあまりよくわからず、おっしゃるとおりいろいろな講義にちりばめられているようなので、わかる範囲内でまとめてみようと思ってはいたのですが、なかなか・・

 これと関連して、ちょうど先月届いた本のなかのGA97『キリスト教の秘儀』“Das christliche Mysterium”に鉱物、とくに宝石についての講義と質疑応答(1906年10月13日、ライプツィヒ)がありましたので、ざっとご紹介します・・

 動物の集合魂はアストラル界に、植物のそれは下位デヴァチャン界に、鉱物のそれはデヴァチャン界にある。人間と動物の体には欲望、激情、衝動がある、植物の体にはもはや欲望はないが衝動はある、鉱物の体には欲望も衝動もない、それゆえ鉱物は我々人間に、人間が自らの衝動を霊化するところまで到達するという理想を見せてくれている。はるかな未来においては、人間が欲望も衝動もない体を持つことが実現される、そのとき人間はダイヤモンドのごとくなるだろう、もはや内なる衝動はなく、それらは外から統御されているだろう・・

 地球進化をはるかに遡ると、鉱物も今日とは別の状態にあった。太陽と地球がまだ一つであった時には、金もまだ固体ではなくて、太陽と地球が分離したときにもまだ金属は固体化しておらず、流動していて、(やがて硬化した)岩石のなかで金属の脈管を形成していた・・もっと時代を遡ると、宝石も流動していて、当時は石炭もまだ透明で、ダイアモンドを形成していた・・紅玉髄もトパーズもまた別の時代にできた・・

 この時代の地上は人間の物質体が住める状態ではなかったので、人間の魂はまだ物質体を持つことができず、エーテル体のみを有していた。このエーテル体になかにある時期に目をはじめ、いろいろな器官の原基ができ、何かを知覚しようとする欲求を持つアストラル体がこのエーテル体に作用して、エーテル器官が形成された。まずエーテル器官ができ、それから物質的な器官が形成される・・(物質的な)目のエーテル的な対応像は鉱物界にあり、これは貴かんらん石(クリソライト{オリビン、ペリドット})である。人間の視覚とクリソライトには密接な関係がある。オカルティストはクリソライトと視覚との親和性を感知し、ある種の目の病気にクリソライトを用いるすべを知っていた・・

 聴覚の原基は、視覚よりも早い時期にできた。聴覚は鉱物界ではオニキスに対応する。音(響き)エーテルは数エーテル、化学エーテルとも呼ばれ、熱エーテル、光エーテル、生命エーテルのうち最も精妙なエーテルである。この音響エーテルが聴覚とオニキスの原基を誘発する。

 触覚は紅玉髄(カーネリアン)、味覚はトパーズ、臭覚はジャスパー、知性は緑柱石(ベリル)、具象的な表象能力は柘榴石とともに発生した。(天界から墜落したときにルシファーの宝冠から失われたのはこの柘榴石。)

 太陽神経叢と共に発生したのは翠玉(エメラルド)で、人間の物質体の最初の原基が形成されたもっとも古い時期に発生したのがダイヤモンド・・

 金は凝縮した太陽光線であり、太陽と直接関係がある。

 サファイアは人間の足と関係がある。

 オパールは肺に対応する部位とより関係がある。

 ルビーは脳の高次の器官と呼ばれるもの、つまりインテュイション器官と関係する。

 鉄は人間のなかの感覚的本性を刺激する作用がある・・

 

 などなど、通常の占星学の本にあるような、星座と体の部位、宝石との対応とはかなり違うようですが、興味は尽きません。あまりまとまらないまま書き出しましたが、少しずつ私も勉強していきたいと思います。

 

 

金枝ヤドリギ 


1998.11.30

 

ハナオカさんwrote:

> やどり木でまず思い出すのはフレイザーの著書「金枝篇」。

> 「金枝」は確か、植物神信仰の象徴としてのやどり木の事ですね。

 「金枝篇」、タイトルに惹かれながらも中身を読んだことないんです・・(^_^;)金は太陽の金属と言われますが、「金枝」の金は太陽と関係があるのでしょうか・・ 

> 北欧神話では善の神を殺す道具に、ドルイド信仰でも司祭の生命との象徴にされて> いたようです。

> 弱さの象徴でありながら、善の神を殺す道具にもなってしまう。

> また永遠の生命の 象徴であり

> それを巡って古い司祭と新しい司祭が生死を持って争う。。

> キリスト教以前のヨーロッパの基層文化ではなにやら暗い生命力や力の象徴であっ

> たような気がします。

> そう言う意味では月的な属性を持つ植物とも言えるのかな。。

 北欧神話で、ヤドリギが比類無く美しい光り輝く神バルドルを殺す道具となったというのは、たしかにとても印象的ですね。前におおざっぱに書いたのですが、シュタイナーによれば、このバルドルの死というのが太古の霊視力の消滅を意味しているようです。人間の進化の必然として、無意識の闇に低下しつつあった太古の霊視は、明るい意識のなかで再生するためにいったん消え去らねばならなかった・・太古の霊視に逆行するのではなく、新たな明るい意識、自由な意識から霊的なものに再び到達する可能性を与えたところに、キリスト存在の大きな意味がある、というのがおそらくシュタイナーの神秘学の重要なポイントでしょうから、古い霊視力を消し去る道具となったヤドリギは、まさに人間進化を転換させるきっかけとなった植物のようです。(北欧ーゲルマン民族とキリスト、日本の関係などについてはこれからもいろいろと考えてみたいと思ってます)


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